先月はやや硬い内容のお話となりました。
そこで今月は少し身近なお話を申し上げたいと思います。
東京銀行時代の私の上司で若いうちに東銀を退職、ご実家の材木問屋を継がれた先輩より、以下のようなメールを頂戴致しました。
「産業構造の高度化により、日本人の生活レベルは確かに豊になりましたが、一方で心の豊かさや、思いやり、信 義 礼 といったものが失われつつあります。
そして、本来私のようなものは、一次産業に従事すべきものが、第3次産業の世界で働かなくてはならない現実をどうすればいいのでしょうか。
過日、知人の信州の農家にレタスを買いに行ったら、ただでよいから持っていってくれとのこと。
事情を調査したら、レタスを入れる箱代が200円なのに 築地市場では、100円で売買されたとのこと。
2次産業では、これ程ひどいことはないでしょう。」
僭越ながら、私自身は従来の単純な第一次産業保護といった農業保護政策については全く関心を持っていません。
しかし、食糧安保と国土保全という視点から見て、「国土保全管理委託費」といった形で額に汗する真面目な第一次産業に従事される方々に対してコストを支払うなど、第一次産業に対する評価とその対価のあり方をもっともっとしっかりと議論するべきであると考えています。そして、少なくとも、この先輩が指摘されたとおり、箱代よりレタスが安かったといった状況が発生しないよう、人為的に対処しても良いのではないかと感じております。
農業国を出発点としていたはずの日本、最近では農業という「ものづくり」についてももっとよく考えてみたいと感じています。
さて、こうしたやりとりをする中、ここ最近はいくつかの地域を回りましたが、その中でいくつか気がつきましたことを以下、簡単にご報告申し上げます。
先ず、刃物の町・岐阜県関に参りましたが、ここは残念ながら町の雰囲気は停滞気味で商店街のお店の多くはシャッターに閉ざされ、活気のあったところはこの地域の名門・うなぎ屋である「辻屋」くらいでありました。
私はこの町に、私の知人がされる刃物製造のOEM生産先を求めて伺いましたが、ここではほとんど商売っ気がないのか、市内のS刃物という商店訪問し、ヒヤリングをしてみたところ、
「関の刃物の場合、ベースはやはり刀、ナイフ等にてこれまで高度なはさみの製造はしていない、いやできないかなぁ。
また多くが手作りのもので大量生産に適するメーカーもあまりない。」
との回答、その後、高山に於いてもヒヤリングしましたが、関の場合、燕三条などの地域で作られたはさみの刃を研ぐことはしても、最初からはさみという商品を生産することはあまりしていないとのことで、高級はさみの生産には優れていないようでありました。
この話から感じられることは二つ、
* 関の刃物職人は、ものつくりのプロであるので自分の不得手分野は依頼をしてきた顧客の為にも敢えてその注文を受けないという職人魂を持っているというプラス面の評価。
* 職人魂が強過ぎてものを売る心が足りないというマイナス面の評価。
であります。
さて、この関を離れ、翌日は郡上八幡を訪問することとなりましたが、この郡上八幡には私が十数年来お付き合いをしている郡上魚籠・ふじ細工職人の方がいらっしゃり、彼とひと時を過ごしました。そして多くの話を伺いましたが、その中で強烈に響いた言葉、それは次の通りです。曰く、
「職人は手で仕事をし、商人は口で仕事をする。」
ひたむきに、そして心を込めてものを作る職人か多いことが日本の誇りであり宝であると言わんばかりに胸を張った彼の言葉には80歳を超えた先輩には思えぬ勢い、そして重みがありました。
しかしまた彼は、
「何でも米国式でものの価値をはかることは世の中を混沌に導く。
いやな世界になったものだ。
長生きをしないほうがよいかもしれない。」
と語り、その姿には職人魂が商人魂に駆逐されていく現実を見ているような気もしてしまいました。
こうしてまた郡上八幡を去り、小京都・高山に入りましたが、ここには有名な朝市の他、老舗のお茶と茶道具のお店があったり、伝統工芸のお店があるなど楽しい町であります。
そんな中、今回は面白いお店ができたのを発見しました。
お店は飛騨高山・家具工房雉子舎。
このお店は専門学校飛騨国際工芸学園の卒業生達が運営しているそうであります。
そして聞きますところ、この専門学校には木によるものつくりを志す老若男女が集い、製品を作っているそうですが、彼らも基本的には皆職人、ということは、材料仕入れ、製造、受注納品、販売などほとんどのことが個人単独で行われ、営業強化、生産量拡大、運営管理の効率化がままならず、このままでは生計を立てるのがやっとという状況にあるとのこと。
そこで、学園は「教育・起業・観光」をキーワードに、文部科学省より研究委託を受けながら、こうした個人たちを集め、材料の共同購入、配達、保管や修習生受け入れによる人材確保や提携企業との共同制作、提携による共同集配送、共同マーケティング等々を促進、
* 個人工房でも成り立つ
* 起業人材が増える
* 就職先の環境拡大
を達成するというシステムを構築しつつあるのであります。
高山でのこうした取り組みは、
* 独立工房創業支援
* 職人の育成
* 生活への提案に寄与する研究
* 飛騨匠の伝統技術伝承
* ものづくりの研究、評論・講座開催
などへと展開され、地域経済活性化の一つの核となっていくのではないかとの期待が持てました。
そして、最後に小さなお話を一つ、高山の宮川朝市を伺った際のお話。
ご存知の通り、ここにはたくさんのお店が並んでいますが、とってもおいしそうな「トマト」を売っているおばあちゃんがいて、思わず、
「試食させてください。」
と申し上げたらどうぞどうぞとのこと、お話を伺っていると、
「わたしはね、トマトつくり53年なの。
53年、土を変えたり肥料を変えたり、また陽の当て方や栽培方法にも苦労しながらやっと今年生まれて初めて人に自慢できるトマトの中のトマトができたの。
トマトを作っているうちに70(歳)を超えちゃったわ。」
とかわいらしく語られました。
農業の世界にも職人がいらっしゃるのですね。改めて教えられました。
商人の目を持ち、職人の魂を忘れぬ日本人達が存在することが日本のものづくりの根幹を支えているのではないでしょうか。そしてこうした伝統の継承によって日本の差別化はより強固なものとなるでしょう。更に、これに国際金融の視点から見た「国際化」のサポートが加われば、日本の職人(農業と工業どちらにも存在する職人)は更に生き生きとされるものと思います。
地域経済活性化の流れと共に、日本のものづくりの現場を今後ももう暫く眺め続けていきたいと思っています。
来月もどうぞよろしくお願い申し上げます。
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