マレーシア経済は2008年のリーマンショックによる世界金融経済危機によって輸出が急落し、2009年は、これを主たる背景として−1.7%と大幅に下落しました。
2010年はマレーシア自身の内需の回復と好調な中国本土経済に支えられて通年では再び経済は拡大し、7.2%まで回復しましたが、外需低迷が顕著となった2010年後半から成長は減速傾向に総じて減速トレンドにあります。
2009年4月に着任したナジブ首相は、政権成立後直ちに外資の誘致に向けたサービス27分野の資本規制の撤廃、投資関連規制や手続きの規制緩和措置を打ち出し、その後、2010年3月の「新経済モデル」による市場志向へ転換、同年6月の「第10次マレーシア計画(2011〜2015年)」による中期的ビジョンの提示、同年10月の「経済変革プログラム」による2020年迄のロードマップ及び重点投資分野の明示等、矢継ぎ早に政策を発表するとともに、補助金削減による財政健全化の具体的措置も図りつつ、2020年迄の先進国入りの目標達成に向けて取り組んでいると伝えられており、期待が持たれています。
ところで、そのマレーシアは未だに英国連邦の一つであり、またマレー系、インド系、華僑系、そして原住民が混在する人種と宗教が混在している国であります。
その歴史を見ても、スマトラ島などから流れ着いた一族たち、その後、大航海時代になり、入ってきたポルトガル、そしてこれを駆逐したオランダ、更にはペナンとマラッカに英国が入り込み、例の東インド会社が拠点を置き、こうした狭間に福建省から入り込んできた苦力としての華僑や、スズの鉱山開発を目的に入り込んできた広東系の華僑がマレー半島に入り込み、この地域を発展させていきましたが、欧米列強と日本の戦いにも飲み込まれて第二次世界大戦を終え、マラヤが建国され、しかし、ここからシンガポールが独立するなどして現在のマレーシアが生まれました。
特に現マレーシアの基礎は、欧米、特に米国に経済的に支配されることを回避しようとしたと見られるマハティール元首相がLook East Policyを唱えつつ、更には経済的には強い華僑系と人口の多いマレー系の融和を唱えて、その方策の一つとして、
「ブミプトラ政策」
を推進しつつ、形作ってきたと言えましょう。
しかし、今回のマレーシア訪問で感じたことは、こうした融和政策の陰で、経済的な優先のみならず、教育面での優先を政府がマレー人に与えたことから、優秀な華僑系は欧米に、そしてまた、中産の華僑系の子弟たちは、シンガポールの優遇政策に釣られるようにして留学に向かい、今や優秀な人材の流出国とマレーシアは見られており、これをマハティール元首相も事実上認めるようにまでなっています。
また、国民車プロトン開発プロジェクトなどに代表される、
「国民の生活水準向上プロジェクト(私には日本の田中元首相が唱えた日本列島改造論にも似た意識で推進されたプロジェクトにも見えます。)」
も頓挫し、マレーシアの発展の方向性は今、一つの岐路にもあるように受け止められました。
産業は、まだまだゴムやパーム油、錫といった産業に従事する者が多く、また最近では外国人労働者の受け入れの力も弱くなり、経済的発展の基盤はなかなか造成されていないように見られます。
こうした中で、更に貧富の格差が生まれ、汚職、賄賂が拡散、こうしたことから、昨今では政治闘争化の様相も呈してきており、選挙も間近との見方も強まっています。
一方、治安も最近ではやや悪化し、富裕層の子弟の誘拐事件、高級車の盗難事件も頻発、マラッカ海峡ではインドネシア系海賊の海賊行為も沈静化せず、冒頭に述べたような経済発展計画があるものの、国民の意識は多民族・宗教の融和と経済的発展から、新しい方向性に向かいつつあるのではないかとも感じた次第です。
ここにも、世界的に見られる「混沌」のマレーシア版混沌が存在している、そんなことを感じて参りました。
次回号も引き続き宜しくお願い申し上げます。 |