IMFの統計によると、2010年のペルーのGDPは、1,534億米ドルとなっています。
ペルーはまた、アンデス経済共同体の加盟国であり、また、メルコスールの準加盟国でもあり、アジア太平洋経済協力と南米共同体の加盟国でもあります。
現行の通貨はNuevo Sol(訳 : 新しいソル。ソルは太陽を表す。かつての通貨ソルに代わって導入された通貨)とされています。
産業の中心は、銅、鉛、亜鉛、銀、金などの鉱業であります。
また石油やガスなどの天然資源も産出されます。
中国本土に次いで世界第2位の漁獲高となる漁獲高となる水産業も主要産業であります。
最近では、ウマラ大統領(日系人学校卒業で知日派、日本との経済連携に期待を示す、経済優先姿勢を示す大統領と見られている。)が内閣改造を行い、バルデス首相ら6人を交代させています。
後任首相には司法相を務めたヒメネス氏が就任していますが、主要産業である鉱業の鉱業開発をめぐる住民らの抗議活動が拡大し、混乱する中を沈静化させる狙いがあったと見られています。
また、ウマラ大統領は、やはり主要産業の一つである水産業界と歩調を合わせながら産業の高度化を図り、国民の栄養改善に取り組む方針を表明するなど、ポイントを押さえた政策運営をしていると見られています。
こうした中、本年上半期の輸出は微増、輸入は1割増となっており、ペルー国税庁の2012年上半期(1〜6月)の貿易統計では、輸出は前年同期対比0.2%増の218億4,000万米ドル、輸入は11.0%増の200億4,900万米ドルとなり、このうち対日貿易は、輸出が21.3%増、輸入も21.5%増となっています。
そして、こうした外需部門の動きもあり、本年のGDP成長率は5.1?7.1%と高めの水準が期待されています。
尚、このペルーは、スペイン人侵略の後、スペイン人が齎した伝染病の為、現地人の人口が侵略当時の約10分の1に減るなど、人口減少が顕著となり、これらの労働者不足を埋めたのが、黒人、そして中国人(苦力)であり、その後にペルーに渡ったのが日本人であったようで、日系南米移民の初めての国はブラジルではなく、ペルーであります。
さて、現地のジェトロ、商工会議所、日系商社の方々のお話を総合すると、
- ペルーの2002年以降の経済発展の一つの特徴はコモディティー価格の上昇をTake Chanceした輸出の拡大と経済発展の促進、それによる内需産業の拡大と言う経済拡大の循環にあり、例えば主力産業の一つである鉱業に関連し、重機やその周辺アフターケアなどのサービス部門の拡大が新規ビジネス、新規雇用を生み、また、通信や鉱業などの投資拡大に繋がっていると見られている。
- こうした経済システムを背景に今年、来年と6%GDP成長を達成、2014,2015年には6.5%成長が期待されている。
- 金融システムが発展していないことが一つの課題ではあるものの、そのおかげで、2008年のリーマンショックや最近の欧州財政危機の余波は比較的少ないという思わぬメリットもあった。これが最近の経済回復の早さに繋がっているとも言える。
- 南米諸国間の経済関係の緊密化も進み、各国の中核資本が、言語、文化、風俗や商習慣、或いは歴史などの共通項を背景にしながら、多国間相互展開を図っており、ペルー資本も南米各国に進出するなど、特にブラジル、コロンビア、ブラジル(マナウスなど、主として北部)とのビジネス連携は更に深まる傾向を示している。
- ウマラ政権は経済成長と貧困の削減の両立を目標に鉱業対策、南部の石油化学産業集積構想、非伝統産業の発展拡大などを具体的に掲げ、産業界、富裕層の支持を得ながら政策運営をしており、日本との接点の可能性は高い。
- 日本企業にとってのビジネス環境を見ると、経済発展のスタートが他の南米諸国よりは相対的に遅れたペルーにはビジネス競争が緩やかな局面がある、ペルーと日本の間では既に経済連携協定が結ばれ、この活用が容易であり、効果を示す可能性が高い、他の南米諸国と比べても圧倒的な親日国であり、例えば、直近の自動車の日本車新車販売シェアは全体の約4割を占めるなど、日本製品、日本に対する信頼感は圧倒的に高いといった有利点が特筆される。
といった点を皆様が指摘されており、こうしたお話を受けると、日本としては、ペルーに投資すると言うよりも、先ずはペルーに日本製品を、量をあまり追わず、むしろ利益率を意識しながら輸出していく、或いは技術移転をしたり、ペルーの人材を教育し、日本国内で使う、その上で状況に応じて、後に対ペルー投資を展開する、その一方で、これらとバーターにしながら、ペルーから必要な天然資源や食糧を輸入し、日本に不足する、食糧・エネルギー資源・原材料の安定供給先の一つにこのペルーを加えていくといった経済連携の仕方が重要ではないかと考えます。
更に、皆様方のお話の中で、
「なるほど!!」
と頷いたお話があります。
即ち、それは、
「このペルーを一国として捉える勿れ。
親日的なペルーは南米ビジネス展開の軸となり得る国である。」
ということであり、例えば、
「ペルーにコロンビア、チリを加えたCPCトリオ(ジェトロ石田所長様命名)は、人口合計で約1億人を超える地域となり、世界銀行・国際金融公社が発表した“2012年・ビジネス環境の現状”では、183カ国中、チリが39位、ペルーが41位、コロンビアが42位と外資にとってもビジネス環境が整っている人口の多い地域といえ、例えば、それは中国本土の91位、ロシアの120位、ブラジルの126位、インドの132位を大きく上回るビジネス環境良好国とも言え、BRIC’Sよりも先ずはCPCトリオであろう。(因みに人口が1億人を超える12カ国の中でこのCPCトリオよりも順位が高い国は米国と日本の二カ国のみである。)」
とのコメントでありました。
これは、私の言葉で言うところの、
「ビジネス展開するに当たって、質・量共にメリットを享受できる可能性が高い地域としてのCPCトリオ」
といった表現が出来、大変興味深く、
「ペルーに進出しつつ、CPCトリオとのビジネス展開を軸にしながら、優良企業グループをパートナーとして掴み、これを基にして幅広い南米ビジネス展開を図っていく。」
という可能性の広がりを意味するものであります。
実際に現地に入ってみると、日本ではなかなか気がつかない興味深い点に触れることが出来、大変勉強になりました。
ところで、ペルーの下にあったかつてのインカ帝国=但し、インカはスペイン人が名付けた名前だそうで、もともとは、四つの州を意味するタワンティン・スーユがその名前であったそうです。=は、今の国際社会とは全く異なるシステム、これを私にコメントをさせて戴ければ「良い」システムに支えられていたと思います。
即ち、その典型的な特徴を少し列挙すると、次のようになります。
*貨幣経済ではない社会であること。
*王族も含めて、基本的には相続を認めていないこと。
*文字文明ではなく、キープといわれる記号にその歴史や文化を忍ばせ伝承してきたこと。
*現地語で「おへそ」の意味となる「クスコ」を軸とした社会を構築して、テリトリーを拡大、その際にクスコを軸としながら、隊商が一日で移動できる距離にずつタンポ=宿場町を置き、そのタンポにはコルカと呼ばれる高床式倉庫を必ず築き、そこに食糧、水、武器、衣料などを置いて、飢饉や戦争に備え、「地域庶民の生活を支える基軸」を作り、極力、争いの起こらない社会構築の基盤としたこと。また、その宿場町同士、或いは首都クスコを結ぶためにチャスキと呼ばれる早飛脚が活躍したとされていること。
などが特筆されます。
物質文明にとらわれず、極力平穏を好み、相続を含めた貧富の格差を起こしにくくし、正当に働く者に対しては正当なる対価が行き渡る社会を苦労しながらもじっくりと時間を掛けて構築していった社会がインカ帝国と言えるのではないでしょうか?
拝金主義で物質的な富を求めやすくなっている現代社会、特に米ドルを基軸とした貨幣経済の中で行き過ぎた信用創造によって混沌を深める西欧文化を軸とした現行世界にとって、一度、その精神を見習うべきは、「インカの魂」かもしれません。
そして、クスコの街を尽く打ち壊しスペイン化した残骸の現在のクスコを見ながら、歴史に見られる世界の変遷といったものを感じながら、将来を考える良い機会ともなりました。
また、マチュピチュにも入りましたが、観光地化されてきているとはいえ、その壮大さはやはり一見の価値があるものでありました。
聖なる谷の高級ロッジを朝六時に出発、パスを使った後、有名なペルー鉄道の展望列車でクスコ・マチュピチュの往復の旅を楽しみましたが、このペルー鉄道はオリエント急行も資本参加している鉄道路線でドル箱路線として繁盛しています。
車内では、スナックと飲み物サービスの他、民謡舞踏のショー、そしてアルパカの着物メーカーとタイアップしたミニ・ファッションショーなどの催し物もあり、ドル箱路線に甘んじず、乗客の楽しみを惹く工夫もされています。
そしてマチュピチュそのもの、列車の到着駅から更にバスで約400メートルの標高差をくねくね道で30分程度上がって到達することになりますが、未だに何の目的の都市であるか、学会での意見も分かれているようです。
しかしそんなこととは関係なく、壮大なマチュピチュ山を中心とする山々を一望できる尾根に築かれたこの空中都市は、聖なる山々への信仰と太陽を信ずるインカの人々の心を捉えた世界文化遺産並びに自然遺産の勲章も持つ複合遺産として世界の人々を集め、一節では、
「ペルーのGDPの約3%を稼ぐ山」
として、文字通り、ペルーにとっては無くてはならない聖地となっています。
高低差のある石畳の三時間以上にわたるじっくりとした見学は、その疲れも忘れる楽しいものでありました。
また麓のマチュピチュ村にはお土産物屋、レストランやカフェ、パブも並び、またマッサージ屋さんもあり、すっかり観光地化されていましたが、町中にある学校などを見るとのどかな現地の雰囲気を残していました。
そして、現地で人がちょっと意識を失い倒れてしまいましたが、直ぐにお店の中から店主の女性が飛び出して助けてくれたら、ガードの男性が駆けつけてくれたりなど、その時の町中の人々の親切な、そして真剣な優しい対応を見て、観光地化されているとはいえ、人々の優しい気持ちは今息づいているといったことを感じる旅でありました。
今回はそうした意味で、新しいものを強く感じました。
尚、私がインカの魂の中で最も感じ言っているものは、
「この世の中は“対”の文化である。」
ということ、つまり、正負、明暗、男女、強い弱い等々、この世の中のすべてのものは「対」によって二つに一つで成り立っていると言うこと、バランスの上に成り立っているということであります。
今のままの世界で行くと、このバランスは崩れ、一旦は暗黒の世界に陥るかもしれない、そんなことを示唆しているインカの魂に、私自身は一番感じ入るものがありました。 |