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2013年9月[Sanada発 現場から]


[私見・ウズベキスタン考]

 皆様方のビジネスにはお役に立たないかと思いますが、今月はウズベキスタン漫遊記をご覧ください。
 「Bankableではなく、ビジネスリスクは現状では取りにくい。」
 とは思いますが、潜在力はありそうです。
 そして、韓国勢はかなり食い込んでいました。
 以下をご覧ください。

 二回目のウズベキスタン訪問をして参りました。
 約10年前に訪問したウズベキスタンと大きな変化は見受けられませんでしたが、統計的に見ると、

* 市場経済化が徐々に進展し、CIS諸国の中では独立後の経済の落ち込みは比較的緩やかであった。この結果として、GDP成長率は2004年から7〜9%の高水準を維持してきている。

* 主要産業は綿花栽培であり、また、天然資源にも恵まれ、天然ガス、ウラン、金などが豊富である。これらが経済成長を支える大きな源泉である。

* 但し、一次産業が主体の経済であることから、産業の高度化が課題となっている。

* しかし、二カ国を超えないと海に到達できない「二重内陸国」という弱みを持っており、せっかく、有数の地下資源を保有していても、これらを簡単に輸出することが出来ない。こうした弱点を克服するためには、産業構造の高度賀が急務であるが、そのための資本は元より技術が不足している。

* そうした意味で、ロシアに対する過度の依存を修正しつつ、全方位的外交を展開、資本と技術の導入には積極的となっている。

* 2006年6月にはCIS集団安全保障条約機構(CSTO)への復帰を決定、2006年9月には、ロシアと反テロ共同軍事演習を行い、テロとの戦いには国際協調する姿勢を明確にしている。

といった現状と変化が挙げられましょう。
  世界の中で、必要とされる国を目指して発展しているようですが、上述したように、
「ロシアとの関係は一定程度維持しつつ、しかし、ロシアに対する過度の依存を回避、その上で、資本と技術の導入が不可避という中で、日本に対する期待は大きい。
  しかし、日本政府も日本企業も動きは決して積極的、活発ではなく、ウズベキスタンが期待しているほどの役割を日本勢は果たしていないとウズベキスタン側は見ている。
  こうした間隙を縫ってウズベキスタンにじわじわと参入しているのは、中国本土と韓国であり、その存在感は増してきている。」
と言えるのではないかと思います。
  カントリーリスクも高く、決して簡単ではない国・ウズベキスタンはありますが、天然資源の製品化を行い、一部は空輸でも輸出できるような産業高度化の支援をしていくことを日本政府がフロントに立ち、日本企業がその技術を支える形で推進していけば、日本のメリットも確保しつつ、ウズベキスタンにも貢献できるプロジェクトも達成できるのではないかと思います。
  ウズベキスタンとよい付き合い方、今後も考えていきたいと思います。
  そこで、以下は今回の訪問記録を雑記として残したいと思います。
  宜しければ、ご覧ください。

ウズベキスタンに入る空路、ソウルから、
「朝鮮半島中部出身、朝鮮戦争勃発直後に戦乱を逃れ、家族一同、ウラジオストク、シベリア、モンゴル、カザフスタンからキルギスタンに入り、そこに根をおろして、現在、中央アジアと韓国、中国本土の貿易ビジネスをしているという62歳の男性」
と話をしました。
彼によれば、
(1) 中央アジアには、韓国、中国本土勢がかなり食い込んでいるが、信頼に薄く、日本とのビジネス拡大を期待する者が中央アジアには、多いが日本人は慎重である、しかし、だからこそ、更に、一緒に仕事がしたい。

(2) ウズベキスタンも良い国であるが、金を含む地下資源はキルギスタンも充実、コストも安いので、キルギスタンも忘れないで欲しい。

(3) 中央アジア情勢はやなりまだ、やや、不安定である、

(4) ロシアの影響はやはり水面下ではまだある、中央アジアの組織は悪い意味で、かつての共産圏官僚型である。

そして、彼の発言で気になったのは、
(5) チェルノブイリ事故発生当時、自分は、そこから約500キロのところに住んでいた。その放射能の被害がじわじわとその住んでいた地域にも広がり、奇形児も生まれた。福島は大丈夫か?
と繰り返し尋ねられたこと。
でありました。

 いよいよ、タシユケントに入りました。
 滞在した各地域の高級ホテルのインフラには問題なし、また、Wi-Fi通信費もホテルロビーでは、無料でありました。
 尚、ホテルのテレビやエアコンなどの備品の多くは韓国製、中国本土製でありました。
 また、ブハラのホテルでは停電があり、水回りも悪く、更にWi-Fiもダウンしました。こうした砂漠地域ですから、この程度のトラブルは、驚くほどのことではありませんが、一応、付記しておきたいと思います。

 以下は主要訪問先でお聞きした内容の中で私が関心を持ったポイント、また、各地で実感した内容であります。

ジェトロ
日本企業の中には、中国本土からのビジネスの一部移転、資源ビジネスを意識した動きが最近見られている。
 しかし、ビジネス分野も限られていて、日本とは、概して低調な関係にある。
 日本企業の主要関心分野としては、地下資源・鉱物関係、自動車、建設機械である。
 トヨタ自動車がカザフスタン、いすゞがウズベキスタンで事業展開している。
 総じて、社会主義、共産圏的ビジネス環境が残り、日本企業にとっては、ビジネスがしにくい。
 ウズベキスタン、カザフスタンは、資源関係、インフラ開発、ミニストップなども進出してきているが、日系進出企業は50社にも満たない。
ウズベキスタン在住の日本人は約120人である。

 中国本土、ロシアとの関係は微妙である。必ずしも良好ではない。

 ウズベキスタンは、人口3,000万人、平均年齢30歳以下、人口増加率も高く、拡大傾向、消費地、生産地としての潜在的魅力が高まっていることは確かである。
 社会は男尊女卑的である。
 初婚年齢男性24歳、女性21歳、離婚も多い国である。
 最近では、女性をターゲットとしたネイルサロンなどのビジネスは拡大中、インターネットでのビジネスも拡大中である。
 高い教育水準、しかし、人々の労働レベルでは手抜きが多く注意が必要である。
 日本が好きで日本語熱も高い。
 現大統領も大変な日本贔屓である。
 日本に対する信頼の高さが存在している。
 こうしたことからすると、「日本語が上手く日本贔屓、ITソフト関連ビジネスのアウトソーシング人材としてウズベキスタンを利用する」のには、大きな魅力があろう。

 ウズベキスタン経済は7%以上成長が10年続いている。
 しかし、格差が拡大中で課題となっている。

 中央アジア五カ国の中、カザフスタン、ウズベキスタンとキルギスタン、トルクメニスタンの関係は「水」を巡る関係も含めて、総じて悪い。

 公務員の月給は約100米ドルと低く、こうしたことも背景に賄賂も横行している。

 中央アジアは、ロシア、中国本土、インドのBRIC'sの三カ国に囲まれている。

 アフガニスタン情勢とタリバンの動き、イスラム原理主義の脅威がある。
但し、イスラム戒律の緩いウズベキスタンは、タリバンをはじめとするイスラム原理主義のウズベキスタン侵入を徹底的に阻止している。
 CIS FTAの潜在性の高さは、一つの魅力となろう。

 ナボイに大韓航空がロジスティックセンターを置き、ブリュッセル、ミラノなど欧州に繋いでいる。大量に欧州に品物を運ぶ利便性もあり、キロ3米ドル程度となっている。

 金融制度が整っていない。
 送金規制も強く、金融面から見たカントリーリスクは高い。よって、外国人投資が限定的である。
 因みに、無償資金援助などの実績が、外国人投資の数値に入れられている。
 総じて、外国人投資の難しい国であるが、入り込んでしまえば、先行者利得が取り易い。
 安価な公共料金と豊富な原材料、教育水準の高さを享受でき、各種優遇が得られる点は魅力である。
 一方で、インフラが整っておらず、インフラやその他企業設備などの老朽化が進んでいる。一方で、ここに需要はあるとも言える。
 契約の文面に詳細内容を織り込むことは必須である。
 朝令暮改的で、ビジネスがしにくい。
 定量分析は難しい。
 韓国勢はウズベキスタンに36社進出しており、国家的な動きの中での進出が多い。
 中国本土勢はウズベキスタンから搾取しがちであると捉えられ、ウズベキスタンでの人気は低い。

 生産拠点としての魅力は総じて薄い。
 資源、綿花などの国際価格の急上昇により確保した特別資金を基にした国家開発も行なっている点は、一つの特徴である。
JICA、ウズベキスタン・日本人材開発センター
*日本人材開発センターは、
*日本との文化、人材交流
*ビジネスコース ビジネスリーダーの育成事業
*日本語教育コース
*コンピュータートレーニングコース
*情報提供・相互理解促進の為の事業と情報提供
などを実施している。

 JICAは、1999年にウズベキスタンに事務所を開設。
 事業内容としては、
*経済インフラの更新、整備
*市場経済化の促進と経済・産業振興の為の人材育成・制度構築支援
*社会セクターの再構築支援(農業改革、地域開発など)
が中心であり、具体的には、
*研修員受入事業
*専門家派遣事業
*技術協力プロジェクト
*草の根技術協力事業開発調査
*無償資金協力
*有償資金協力
*協力隊派遣事業
などを実施している。
 具体的には、鉄道建設、運営プロジェクトに関する現況に関する事例説明があった。
 対象プロジェクトは、カルシーテルメズ鉄道電化事業に関する支援内容をお聞きした。
 旧ソ連時代の交通インフラの整備が重要であり、独立国となったウズベキスタンの国内鉄道網の利便性向上、新線建設事業の中で支援を実施している。

丸紅
 ソ連崩壊後の1994年に事務所を開設。
 それまでは、モスクワからビジネスを統括していた。
 綿花産業中心のビジネスから始まり、最近は石油、ガス、金、ウランなどの資源ビジネスとインフラ、建設機械関係のビジネスが中心になっている。
 投資環境が厳しく事業案件、投資案件関連ビジネスは限定的である。
 そうした意味でトレード関連のビジネスを中心としている。
 但し、ファイナンスを絡めたトレード関連ビジネスが主流である。
 また、複数の企業がコンソーシアムを組むビジネスチャンスを追い求める方向性を目指し始めている。
 コンソーシアムは必ずしも日本企業だけのコンソーシアムではなく、むしろ、韓国や中国本土、トルコなどの企業との多国籍コンソーシアムになっている。
 ウズベキスタン側に対する提案の一つの切り口はファイナンスである。
 発電、デジタル放送、鉄道などの案件をターゲットにしている。
 オペレーションリスクが高い。
 法令遵守の意識が弱く、経営の現地化が難しい。
 外国勢としては、中国本土、韓国、ロシア、トルコなどの国々である。
 欧州の建設企業のサポートをしている。

タシユケント市内
 庶民のバザールは、香辛料に代表される食料品や日用雑貨が販売されていました。
 また、市内は、整然としており、落ち着いた雰囲気でありました。

世界遺産の町・ヒバ
 世界遺産の中に暮らす人々が、土産物の生産、販売を城壁内部各所で行なっており、また、整備も遅れているように見受けられ、世界遺産の雰囲気には、欠けていました。
 しかし、歴史的建造物とブルーの空のコントラストは、絶妙の美しさを醸し出しています。
 触れ合う商売人、その他庶民も総じて友好的であり、各所で、
「日本人か?
そうか。
それなら握手だ!(俺のウォッカを受け取れ)」
と片言の英語や日本語で尋ねられ、更に握手や挨拶を交わすなど、日本贔屓を改めて実感したところであります。

 翌日は、ヒバからブハラに450キロの砂漠移動を行いました。
 砂漠は、全くの砂ではなく、所々に草も生え、蜥蜴や鳥も見受けられる砂漠です。
 約10時間、ゆっくりと時間をかけ、各所を見て回りながら移動しましたが、綿花や生糸の産地として農業が発展している地域も途中にあり、ここでは、収穫の時期には、大学生がほぼ一ヶ月、勉強をせず、政府の意向で、産地に入り、収穫の手伝いをするとのこと。
 農民の土地保有はならず、土地は国有、この土地を小作する体制となっているとのことでした。
 最近は、この綿花の中国本土が大きな買い手となっているようです。
 水は、川とパイプラインによって担保され、品質の高い生産を後押ししています。
 また、途中、韓国政府とウズベキスタン政府の共同道路工事プロジェクトの現場を突撃視察し、ここに駐在する韓国重工業のヘッドにインタビューしましたが、現在は、ヒバからブハラの間のタジキスタン国境沿いの96キロの工事に携わっているとのこと。
 このプロジェクトは、李明博前大統領とカリモフ大統領の間で結ばれた契約に基づくものである。
 当該区域は、年内に完工、別の区間を受け持つドイツチームと共に、次の区間の工事に移行する予定とのことでありました。
 韓国人社員は11人、半年に一度は一時帰国をしながら、工事を頑張っているとのこと。
 残りの約75人の作業員は、全てウズベキスタン人。
 工事は一日約25〜30メートルの速度でしか進展せず、時間のかかる工事であるとのこと。
 当該プロジェクトの困難さについて、責任者の韓国人ヘッドは、
(1) 気温の日較差、年格差が大きく、作業の困難があること。
(2) 冬季の雪などにより三ヶ月程度の休工時期があること。
(3) 食べ物が、種類も含めて限定的であり、砂漠生活の楽しみも少ないこと。
を挙げていました。
 砂漠ではまた、とかげ、鳥、羊や山羊、そしてラクダを見つつ、ブハラに入りました。

 ブハラに入ると、私たちはまず、ウズベキスタン日本センターブハラ分室を訪問、センター内を見学の後、授業を見学しました。
 授業では、学生たちと公務員が一緒に授業を受け、過去形の使い方を実践的に勉強していましたが、そこに割り込み、彼らと様々な会話をしました。
 医者や音楽家になりたいと言う学生たち、仕事で必要であると言う公務員、日本語に対する関心は極めて高かったです。
 そして、ブラハ国立大学の学長先生に突撃インタビューをしました。
 同国立大学は、元々が、教育大学系の大学であり、6,000人の学生に1,000人の教員、その1,000の人の教員の4割は、授業のみ、残りの6割は、授業半分研究半分の教員とのこと。
 目指す目的は、
☆教員育成
☆伝統工芸などに携わる人材育成
☆スポーツ選手の育成
などにあるとのことで、日本の大学との連携には、高い関心を示していました。
 その後、同大学内にある伝統刺繍工芸の工房を見学しましたが、ここで学ぶ学生たちは、卒業後、チャンスがあれば、中央政府から、起業資金を貸与され、独立し、伝統工芸を守りつつ、生計を立てる道を歩む者もいるとのことでありました。
 そして、ブハラ市内のモスクや神学校、バザールなどの遺跡を見学後、伝統音楽と伝統舞踏、そしてファッションショウを見つつ、夕食を取り、伝統的トルコ風呂に入ってマッサージを受けました。

 ブハラを離れた我々は陸路、バスに乗りサマルカンドに入り、いすゞ自動車の現地工場を見学しました。
 ブラハからサマルカンドは280キロ、昔のシルクロードに沿って現在の道路も作られており、途中、ラクダの隊商が寄った宿場町や水のタンクなどの遺跡を眺め、更には、大韓航空が進出したナボイの町と空港のそばを通過しましたが、計画的に作られた町らしく、プラスチックを製造する化学工場や、パイプライン、大型発電所、そして、工業団地も整備されていました。
 昼は、元公務員が民家を改築して家族経営する民族料理を食しましたが、大変美味でした。
 サマルカンド市内は、遺跡と廟の町、チムール大帝に纏わる遺跡を巡りました。
 見学の途中、弟が韓国国内の建設会社に出稼ぎに行っていると言う男性とその家族に声を掛けられ、
「日本から来た。」
と話すと、親しげに何枚も一緒に写真を撮りたいと話し、笑顔で別れたのは印象的でありました。

SAMAUTO
 いすゞ自動車の技術を受けた商用車などの生産会社。
 ウズベキスタン側92%(うち、銀行26%)、伊藤忠8%
 1999年設立
 建国当初から韓国側のパートナーであったトルコから伊藤忠がビジネスを掌握しつつ活動している。伊藤忠とは2006年合弁開始、即ち、トルコとの合弁契約が切れ、伊藤忠が資本参加したものであります。

248億スムの資本金
有限責任会社
バス、トラック、ダンプカー生産
従業員920人
日本からは長期出張ベース。
従業員の平均年齢は28〜30歳
勤務体系は、一日8時間勤務、一勤務制
2012年は2,705台年産2013年は3,500台の予定
 東北大震災の際は生産減少
 伊藤忠がいすゞの技術を通して指導、いすゞ日本にウズベキスタン人が研修に行っている。
 100%ノックダウン
 横浜から中国本土、カザフスタン経由列車で約1,000種類の部品、半製品を輸入し、組み立てている。
 金型は、ロシア、中国本土、マレーシアで作っている。
 機械は、ドイツ製が多く、ロシア製などもある。
 バスの出荷単価は一台35,000米ドル
 トラックは60,000米ドル
 消防車は、170,000米ドル
 販売店20社、サービスセンターも20社程度。
 国内販売が原則、一部、カザフスタンなど周辺諸国に輸出している。
 各種製品の品質の高さは、一流で顧客マーケティングは比較的容易である。
 バス製造は独占、よって利益も財務省によって管理されている。
 利益については、あまり、自由にはならない模様。
 伊藤忠は、財務省とコンタクトし、配当金送金している。
 将来は、輸出拡大、車種拡大、そして、年に5,000台を目指したい。
 いずれにしても、Supporting Industriesが限定的なウズベキスタンでは、日本の製造業関連企業が本格的なオペレーションをしていくのは、なかなか難しいと感じました。

 翌日はチムール大帝の故郷であるシャブリサーブスの町にハイヤーをチャーターして峠越えをし、約100キロの道のりを一時間半強で往復しましたが、世界遺産の町・シャブリサーブスの美しさと共に、途中の峠越えの景色の美しさに感動しました。
 こうして、午後、1時半過ぎには、再び、サマルカンドに戻った後は、伝統工芸の絨毯製造工房とサマルカンド・ペーバーの製造工房を見学、所謂、家内工業的な現場を視察しました。
 そして、夜の会食では、ウズベキスタンの貿易商社や銀行員たちも集い、会議と会食しましたが、通関事務はやはり、官僚的な手続きも多く容易ではないようです。
横浜港発、中国本土、カザフスタン経由の荷物輸送は約15日とのことですが、こうした貿易商社の力を借りての輸入がスムーズのようです。
 一方、金融は、かなり閉鎖的のようです。
 中央銀行と政府系銀行、そして民間銀行約30行いずれもが、政府の管理・監督下にあり、例えば、中央銀行の基準金利に指定のマージンを乗せて融資をしているようですが、マージンも薄く、利益もコントロールされているようです。
 ウズベキスタン進出外銀は、イラン系銀行など、合弁では、ADBやIFCと言った国策金融機関との合弁銀行はあるものの、その他はないようです。
 外国系銀行との決済を規定するコルレス契約については、ウズベキスタンの銀行の多くはロシアの銀行、ドイツの銀行、そして、一部、米国の銀行に決済口座を持ち、締結しているようで、また、ウズベキスタンの銀行と直接、コルレス契約をしている日本の銀行も限定的であることから、日本との資金決済は、簡単ではない模様です。
 尚、配当金送金に関しては、国家関連プロジェクトに関する外資系企業の配当金送金は容易なるも、その他は、決して容易ではないとのことでありました。
 こうしたコメントからすると、金融、貿易面から見ても、ウズベキスタンと日本企業のビジネスは簡単ではないようです。

 最終日は、サマルカンドから約5時間を掛けて、陸路、タシユケントに戻り、日本人墓地のお参りをした後、韓国経由帰国しました。

 タシュケントの最後の会食では、韓国人が展開している日本料理、韓国料理、中国料理を出すレストランがあり繁盛していました。
 経営者の韓国人にヒヤリングしましたが、韓国国内でのレストラン展開に限界を感じて、思い切って、海外でレストランを始めた、家族も連れてきているとのことで、不退転の決意で海外にて仕事をしているようです。そして、タシュケントの従業員にも厳しい指導をし、その規律の中で、利益もしっかりと上げているようでありました。

大変、有意義、刺激的なウズベキスタン訪問でありました。

 次回号も引き続き宜しくお願い申し上げます。


 
以上
 
愛知淑徳大学 ビジネス学部・ビジネス研究科
教授 真田 幸光


真田先生のプロフィール
真田 幸光氏(さなだ・ゆきみつ)
愛知淑徳大学ビジネス学部教授。
1957(昭和32)年生まれ。81年慶大法卒、東京銀行(現・東京三菱UFJ銀行)入行。韓国延世大学留学、ソウル支店、資本市場第 一部、BOT International(H.K.)Ltd.出向などを経て、97年独系ドレスナー銀行東京支店・企業融資部長。98年愛知淑徳大学ビジ ネス・コミュニケーション研究所助教授に就任。2002年4月同 教授、2004年4月より現職。
著書は『日本の国際化と韓国』、『アジアの国、日本』など多 数。 NHKクローズ・アップ現代などテレビ、ラジオ出演をはじめ、中小企業大学校ほか活発な講演活動を展開中。
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