SAITAMAビジネスライン 埼玉産業人クラブ
埼玉ちゃれんじ企業経営者表彰
ホーム    サイトマップ    当クラブについて   
現在位置:ホーム >Sanada発 現場から サイト内検索
 

2014年2月[Sanada発 現場から]


[混沌の世界から混乱へ、そして、日本の生きる道は?!]

大局から見た世界の動向と日本の立ち位置
 大局の変化を受けて、国際情勢は混沌(Chaos)のままに推移する、否、私はこの混沌が深まれば、
「混乱(Disorder)」
に陥る危険性すらあるのではないかと感じています。
 私は決して、
「悲観主義者」
ではありません。
 しかしながら、
「基軸国家・米国の威信(Dignity)」
の低下を背景とした混沌の深まりを危惧しているのであります。
 基軸通貨・米ドルを中心とした貨幣経済の中で、広義の信用創造によって膨らみ過ぎた国際金融市場の資金は、「持つ者」と「持たざる者」の狭間に於いて、国際金融資本を軸とする「弱肉強食型(≒ゼロサム型)」の原始資本主義を拡大し、格差拡大を生む、そしてその格差拡大が今後、世界的な規模での社会不安を生む危険性を孕んではいないかと、私は懸念をしているのであります。
 そして、こうした不安は各国社会の底辺にだけ存在するのではなく、
「国家同士の駆け引き」
の中にも見られていると思われ、現状では、
「微妙なバランスの中で、不安定の中の安定を保っている。」
と言えます。
 そうした中でも、米中と言う、共に軍事力を背景とした大国同士の水面下での駆け引きは熾烈で、表面に見えている経済交流の蜜月さの裏側で、軍事的な駆け引きは一層激しさを増していると見られます。
 また、この駆け引きの中には、もう一つの大国である「ロシア」も間違いなく、関与しています。
 そして、昨今の中国本土の「東シナ海を軸とした新たな識別防空圏の設定」は米中の軍事力を背景とした鍔迫り合いとも見られましょう。
 私の認識では、米国は、
「米・日・印・豪」
のダイヤモンド・シフトを基軸に、中国本土の社会主義・共産主義をベースとした軍事的覇権に対抗するかのように、
「民主的安全保障ダイヤモンド」
を構築、確立しようとしているのではないかと、そして、その中で、日本をしっかりと取り込み、日本にその役割を果たさせようとしているのではないか、そうした延長線上で、日本の憲法改正も条件付で容認しようとしているのではないかとも思われます。
 現行の日本政権は熱烈にその米国にラブ・コールを送り、連携の緊密化を目指しているようでありますが、果たして、各国はどのような動きをしているのでありましょうか?
 即ち、
「米・日・印・豪」
は真に一枚岩なのか?と言う点でありますが、私は、そこに懸念を感じています。
 例えば、米国は、やや俗の表現をしますが、
「米国離れの可能性がある韓国に対して、しっかりと手なずけている日本に対して冷たくするような素振りを見せつつ、韓国を米国に引き寄せ戻し、かつ、日本に適度の嫉妬を焼かせて、米国への忠誠を強めさせる動きを示している。」
とも思われ、米国が手放しで、日本をサポートしてくれているようには思えません。
 インドは、必ずしも米国との一枚岩体制は採っておらず、軍事的友好国であるロシアや、また英国との関係も巧みに使いつつ、米国との“対等な関係”の維持を目指して腐心しており、この対等的な関係の維持に利用できるのであれば、日本との連携も考えられましょうが、その日本には、
「物足りなさ」
を感じているようであります。
 一方、豪州には第二次世界大戦での経験からか、根底では、日本に対する不信感も存在しているようであり、日本よりも中国本土を志向する可能性すらあり、その中で米国とのバランスを採りにいく可能性もあります。
 こうした考えてくると、日本が、あまりにも、
「米国一筋」
の姿勢を採り過ぎると、日本は、相対的な影響力を低下させている米国に、
「梯子を外される。」
という危険性も出てくるのではないかと心配されます。
 こうした意味からも、私は、
「皇室と王室の連携も含めた日英同盟の復活を先行、これに加えて、スイス、イスラエル、シンガポールとの緩やかな外交連携を進めることが日本の国益に資する。」
と確信しています。
 そして、具体的には、日本は、
「世界が真に必要としている“もの”や“サービス”を量と価格を安定させて世界各国に向けて提供できる国家」
として、世界の平和的発展に貢献し、無くてはならぬ国として、尊敬されつつ、生きていく、真の独立国を目指すべきではないかと思います。

日本の生きる道
 先ずは、第二次世界大戦後の日本の経済発展、産業発展から見た、
「日本の生きる道」
を探っていきましょう。
 第二次世界大戦後の日本の産業構造の発展を見てくると、部品や素材、そして製造装置を生産するSupporting Industries企業群に支えられ、それらの上に構築されたセットメーカー群が大量生産大量販売型のビジネスを展開して、セットメーカーはその生産品を当初は主として輸出しながら、外貨を稼ぎ、戦後日本の経済発展の基礎を支え、その後、日本の内需が徐々に拡大すると、生産品を内外共に販売して、世界のインフラ拡充と世界の耐久消費財の普及を支えつつ、日本の経済発展も支えて、世界的な企業へと大きく発展してきたと言えます。
 そして、そこには、日本人の勤勉さ、単一民族であることのメリット、貯蓄率の高さ、そして第二次世界大戦前から持つ技術開発力などによる製品の品質向上と為替レートの低め安定などにも支えられた「安価でいいものを内外に安定的に供給する」という「世界の工場」的な役割を日本全体が果たしてきたという実績が加わり、フロントに立つ、これら日本の多くのセットメーカーと部材や製造装置を製造する、Supporting Industriesとしての中堅・中小企業が、一定の緊張感を持ちながら共存体制を構築してきたという課程も垣間見られます。
 そうした意味で、第二次世界大戦後の日本は正に、
「垂直統合型の発展」
を遂げてきたと言っても過言ではないと思います。
 しかし、こうしたビジネス・モデルも1985年のプラザ合意による意図的な円高誘導によって一気に変化、セットメーカーは大量生産大量販売体制を維持するために海外展開を推進、セットメーカー群を支えるSupporting Industriesの多くもこれに伴い、海外展開を余儀なくされました。
 また、円高の後、日本では、内需拡大が意識的に謳われ、旺盛な内需と勢いを残す外需に支えられ、一時期は、バブル経済とはいえ、
「日本の経済的繁栄が世界的にも注目された」
という時期を迎えました。
 しかし、1990年代に入り、その日本のバブル経済の崩壊が顕著となると、日本の国内では、明らかな、
「産業空洞化」
という現象が顕在化し、日本の国内には、
*債務
*設備
*人材・労働力
の「三つの過剰」状態が拡大、これを克服する上からも、セットメーカーは、インフラ開発需要が落ち、耐久消費財の普及の一段落した日本国内のビジネスが限定的であると判断して、海外展開を加速化させました。
 また、海外ビジネスに於いては、欧米先進国も日本と同様、インフラ開発需要も限定的であり、耐久消費財も行き渡っていることから、その拡大のターゲットは、自ずと、潜在的な消費者の数が多く、潜在的な労働者の数も多く、その上で比較的安定的な国であるところの、中国本土やインド、ブラジル、ロシアといったところに先ず向けられ、これらがBRICSと総称されて、注目されたのであります。
 その後は、これにインドネシアやメキシコ、トルコなどといった新興国も加わってきていますが、いずれにしても、セットメーカーは、こうした大量生産大量販売型のビジネス・モデルをグローバルに展開することによって、自らも、
「コスト競争の激化の渦」
に飲み込まれていくこととなりました。
 一部に、
「高度技術の擦り合わせによる国内復帰」
といった現象も見られていますが、上述しましたように、日本国内の市場が限定的となる中で、世界的なコスト競争に敗れ、世界シェアを極端に落とした半導体やカーナビ、DVDなどをはじめとする様々な業界の経営は厳しさを増し、その結果として、これらの業界、セットメーカー企業群を支えてきたSupporting Industries企業群も、放置すれば、これらセットメーカーと共倒れをしてしまう危機に晒されているのが今の日本ではないでしょうか。
 こうした流れを考えてくると、今の日本に必要なことは、
*グローバル企業としてのセットメーカーの世界シェア拡大戦略=一義的には先ずは力(=量)=で勝負
*量は二の次とし、マニュアル化出来ない技術を背景とし、先ずは高品質・高利潤企業を具現化出来るSupporting Industries企業としての中堅・中小企業の世界販売戦略=日本に居ながらにして、即ち、雇用機会を日本に残して、外貨を稼ぐ企業の育成=
といったことを目標にして、国家としての、日本の産業戦略を抜本的に考えていくことにありましょう。
 そしてまた、こうしたことが具現化出来れば、時代は、日本に向かって風が吹き始めると私は考えています。
 
 次に、もう一つ、現状の国際情勢を背景とした、
「日本の生きる道」
を考えてみます。
 私は、
「先進国は経済的な成熟度が進んでいる中で、一般的には、総じて需要が弱い。」
と認識しています。
 道路、電力、ガス、港湾といった様々な社会インフラが整い、高額なものも含めて耐久消費財も行き渡り、
「今すぐに必要なもの」
の需要が弱いことから、
「先進国は需要が低い。
 結果として、安定成長と言う名の低成長に陥り易い。」
と考えられ、これらの対策として、先進国は、
「新規の需要をまじめに発掘する。」
という努力をしてきましたが、
「米国がまず、人々に借金をさせてでもものを買わせると言う需要を創出、これが行き過ぎた信用創造へと発展し、サブプライム・ローンからリーマン・ショック、そして遂には、こうした民間部門の経済での破綻を回復させるために、今度は国が多額の借金をするという異常事態にまで至り、世界は一部主要国の財政危機と言う大問題を抱える時代にまで突入した。」
とも言えます。
 そして、国内での需要が弱い先進国はいくら景気対策を展開してもなかなかデフレから脱却できない、一方で新興国は需要そのものが潜在的に強い中、これが顕在化している中国本土などはインフレになり易いという二極化状態になっています。
 こうした中、先進国は、少ない国内需要をカバーする為に、自国外ビジネスを拡大しようとし、その為に、
「自国通貨安競争を拡大する、その為の方策として、資金を更に市場に過剰供給する、この結果、資金量が実体経済規模を異常に上回る事態となり、金融が実体を振り回す(これを国際金融市場では、犬が尾を振るのではなく、尾っぽが犬を振り回す事態と揶揄している。)、そしてお金のある人とない人の格差を広げて、弱肉強食型の原始資本主義がはびこるという更なる悪循環に突入している。」
と私は認識しています。
 こうした中、少し冷静に、また倫理観を以って先進国経済を眺めてみるとき、
「成熟した先進国経済の中では、例え人口が多くても需要そのものが弱く、スケールメリットを取りに行く、大量生産、大量販売型のマス・ビジネスが衰退していくことはむしろ必然であろう。」
と私は考えています。
 従って、あくまでもこのマス・ビジネスに頼る企業は、市場を求めて、好むと好まざるとに拘わらず、国際市場に目を向けざるを得ないという状況に進みます。
 しかし、冷静に考えてみると、価値観の大きな変化、多様化の中で、
「当然に、先進国にも潜在的需要」
が存在し、これを発掘しない手はありません。
 即ち、
「消費者の多様化された様々な異なる欲求やニーズに応えること」
こそがその対応策であり、
「少量(もちろん、可能な限り大量を目指す)、多品種、高品質のモノやサービスを、本当にそれを必要としている消費者に売っていけば、そこできちんとした価値観で評価され、高利益、否、少なくとも正当な利益が確保出来る。」
はずであります。
 そして、こうしたビジネス展開が出来る企業は、
「質の高い中小企業そのものである!!」
と私は考えています。
 もちろん、その中小企業も、ただ、良いものを作ればいいと言うものではなく、消費者としっかりとアクセスし、質の改善を怠らないことは必須要件でありますが、日本の中小企業にはこれが出来ると思います。
 こうしたことが具現化されれば、これからの先進国、就中、日本やドイツ、イタリアなどには、上手に企業が対応していけば、間違いなく、
「中小企業の時代が到来する!!」
と思います。
 更に、その為にIT市場を利用した製品開発と製品ニーズを地域で根付かせて、ローカル・マスのビジネスを展開していくことも重要でありましょう。
 そして、これこそが、ものづくりの展開に於いて常識とも言われてきた、
「規模の経済性を追求する。」
ということに対する一つの大きな挑戦!!でもあります。
 先進国の一つである日本には、127百万人の、
「質のいい労働者と質のいい消費者」
が存在しているが、如何せん、
「国内にインフラが整っていることから、インフラ需要は、リハビリ案件が中心で、決して強くない、耐久消費財も一通り、庶民に行き渡っており、こちらの需要もさほど強くない。」
と言った状況下で、
「内需が限定的である。」
と言う根本的な課題が存在しています。
 こうした状況にあっては、
「大量生産、大量販売型の、所謂、マス・ビジネスを志向するビジネスにとっては、日本の市場としての魅力は、薄れつつある。」
と言えましょう。
 しかし、
「例え少量でも良いから(勿論、出来る限り、大量であることに越したことはない。)、多品種、高品質、高利潤」
のビジネスを追い求める、企業としての生き方は、あり得る!との認識の下、
「必ずしも量は追いかけない!」
と言う意味での、
「規模の経済性」
への挑戦を展開すべきではないでしょうか。
 そもそも「規模の経済性」とは、
「生産量の増加にともない利益率が高まること。
 成熟市場では、選択と集中に基づく効率的な投資が競争戦略上重要となる。
 そして、規模の経済とは、生産量の増大につれて平均費用が減少する結果、利益率が高まる傾向である。」
とも言われています。
 その「規模の経済性」は資本に依存しているとも考えられており、
「費用を資本、労働、原材料に分け、生産規模とこれらの要素との関係に着目して、規模の経済を分析することも出来る。」
とも言われています。
 一般に、原材料については、平均費用が一定となるため、生産規模に拘わらず収穫・費用のいずれも不変であります。
 労働力についても、規模の経済性が成立します。
 そのため、ある製品について規模の経済が成立するか否かは、資本に依存することになります。
 更に、市場が成熟した場合は、早期に資本を償却し、新規分野に投資を集中すること、即ち、選択と集中が、戦略上重要になるとも言われているのであります。
 しかし、ここでは、敢えて、
「高度技術を背景とした高品質を前提に選択をし、多角化する中に比較競争優位を見い出し、その過程で高利潤を確保、生き残りをかけることこそが日本企業、就中、“必ずしも大量生産・大量販売型のマス・ビジネス”ではないところで、生き延びようとする日本の多くの中堅、中小企業の、生きる道ではないかと私は考えているのであります。
 そして、日本が特に強いと言われる、
「核心部品、高度素材、製造装置とメンテナンス・アフターケア」
の分野でこれらを着実に展開していけば、日本が世界に必要な国家として、尊敬されながら、生き残ることが出来ると私は確信しています。
 読者の皆様方は、如何、思われるでありましょうか?

 次回号も引き続き宜しくお願い申し上げます。


 
以上
 
愛知淑徳大学 ビジネス学部・ビジネス研究科
教授 真田 幸光


真田先生のプロフィール
真田 幸光氏(さなだ・ゆきみつ)
愛知淑徳大学ビジネス学部教授。
1957(昭和32)年生まれ。81年慶大法卒、東京銀行(現・東京三菱UFJ銀行)入行。韓国延世大学留学、ソウル支店、資本市場第 一部、BOT International(H.K.)Ltd.出向などを経て、97年独系ドレスナー銀行東京支店・企業融資部長。98年愛知淑徳大学ビジ ネス・コミュニケーション研究所助教授に就任。2002年4月同 教授、2004年4月より現職。
著書は『日本の国際化と韓国』、『アジアの国、日本』など多 数。 NHKクローズ・アップ現代などテレビ、ラジオ出演をはじめ、中小企業大学校ほか活発な講演活動を展開中。
コンテンツ

例会・講演会

各部会紹介

リンク


SANADA発現場から

お問い合わせ

当クラブ(地図)へのお問い合わせ、入会希望など、お気軽にお問い合わせください。

tel0438-872-2281 fax048-872-2285

Eメール
clubsaitama@sangyojin.org

お問い合わせフォーム

ホーム当クラブについて埼玉ちゃれんじ企業者表彰例会・講演会情報ファイルお問い合わせサイトマップ
NITEC埼玉産学交流会TDU産学交流会埼玉ビジネス研究会経営研究部会企業PR部会人材開発部会産友会分科会
Copyright (C) 2004 SAITAMA SANGYOJIN CLUB All rights reserved