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2016年9月[Sanada発 現場から]


モロッコ訪問記


はじめに

例年、この時期にお伝えしている海外レポートを今月はお伝えします。
今年はモロッコ訪問記です。
潜在性のある国、モロッコにも、是非、ご関心をお寄せください。

モロッコ訪問記

この週は、モロッコに、企業経営者や地方自治体などの方々と行って参りました。
 その中で感じたことをここに簡単にご報告を申し上げます。
少しでもお役に立てば幸いです。

モロッコ王国、通称モロッコは、北アフリカ北西部のマグリブに位置する立憲君主制国家であります。
東には、アルカイダなどの過激派の活動が気になるアルジェリアと、南にサハラ・アラブ民主共和国(西サハラ)、そして、北にはスペインの飛び地セウタ、メリリャに接し、西は大西洋に、北は地中海に面している国で、カサブランカが映画では有名となりましたが、首都はラバトです。

国家の政治的特徴としては、地中海世界とアラブ世界の一員と言う点を意識すべきでありましよう。
そして、実際に地中海連合とアラブ連盟とアラブ・マグリブ連合に加盟しています。
しかし、一方でモロッコは、サハラ・アラブ民主共和国を自国の一部であるとの立場から独立国家として承認しておらず、1984年にサハラ・アラブ民主共和国のアフリカ統一機構加盟に反対して同機構を脱退して以来、現在もモロッコはアフリカ大陸唯一のアフリカ連合非加盟国になっている点も注意すべきです。
尚、こうした背景もあり、サハラ地域には、やや不安の種があり、サハラ地域などに、アフリカの過激派が入り込む隙はありそうです。

経済を眺めます。
国際機関である、IMFの統計によると、2015年のモロッコの国内総生産は約1,031億米ドル、国民一人当たりのGDPは3,079米ドルであり、アフリカ諸国の中では比較的高い水準にあり、アジアなどの新興国に匹敵するレベルであることから、最近では、混乱のエジプトに変わり、世界的にも注目されはじめています。
また、リビアやアルジェリアなどのように産油国ではありませんが、鉱業と軽工業など産業のバランスもよく、経済基盤も発達していることが、こうした経済的特性となっていると言えましょう。
その中でも特に、埋蔵量世界1位のリン鉱石を中心とする鉱業と、生産量世界第6位のオリーブ栽培などの農業が経済基盤となっています。
また、大西洋岸は漁場として優れており、日本の商社の活躍などもあり、日本にもタコやイカなどが輸出されています。
また、カサブランカをはじめ、観光都市もあり、観光資源も豊かで、観光収入は22億米ドルに上っています。
衣料品などの軽工業のほか、石油精製や肥料などの基礎的な諸工業も一応発達しており、これが、バランスの取れた産業構造を生み出している一つの背景とも言えましょう。
更に、歴史的背景と地理的利便性もあり、ヨーロッパ連合諸国に出稼ぎ、或いは、移住したモロッコ人による送金も外貨収入源となっています。
経済について、更に詳細を見ると、鉱業生産は、リン鉱石(採掘量世界第2位)、鉛鉱(同7位)、コバルト鉱(同8位)が中心、更に、銅、亜鉛、金、銀なども採掘しており、天然ガスもあります。
但し、上述したように原油の採掘量は1万トンと極めて僅かとなっています。
鉱物資源はアトラス山脈の断層地帯に集中しており、リンはカサブランカ近郊で採れ、カサブランカの経済基盤の一つともなっています。
一方、砂漠も多いモロッコではありますが、大西洋岸、地中海岸では天水に頼った農業が可能であり、耕地面積は国土のなんと21%を占めています。
意外に大きいです。
そして、こうしたこともあり、農業従事者は430万人ほどと言われています。
また、国際連合食糧農業機関 (FAO) の統計(但し、データは少し古く2005年のものです。)によると、世界第7位のオリーブ(50万トン、世界シェア3.5%)、第9位のサイザルアサ(2,200トン)となっており、世界シェア1%を超える農作物は、テンサイ(456万トン、1.9%)、オレンジ(124万トン、1.5%)、トマト(120万トン、1.0%)、ナツメヤシ(6万9,000トン、1.0%)等となっており、農業国の片鱗が窺えます。
尚、主要穀物の栽培量は乾燥に強い小麦(304万トン)、次いでジャガイモ(144万トン)、大麦(110万トン)となっているようであります。
畜産業はイスラム世界を反映してか、羊(1,703万頭)、鶏(1億4,000万羽)を主としています。
工業は、リン酸肥料(生産量世界第6位)、オリーブ油(同9位)、そして、ワインや肉類などの食品工業、加工貿易に用いる縫製業もありますが、日本の矢崎総業なども進出しており、今後の工業化の進展も期待されています。

2011年基準では、モロッコの輸出額は238億米ドル、輸出品目は、 機械類 (15.9%) 、 衣類 (14.4%) 、化学肥料 (8.8%)、野菜・果実 (7.9%)、魚介類 (7.6%) となっており、尚、リン鉱石は価格により、その順位は変動します。
また、主な輸出相手国は、スペイン、フランス 、ブラジル、イタリア、インド です。
一方、モロッコの輸入額は116億米ドル、輸入品目は、原油 (12.0%)、繊維 (11.9%)、電気機械 (11.7%)であり、主な相手国はスペイン、フランス、中国本土、米国、イギリスです。
日本との貿易では、輸出がタコ(61.1%)、モンゴウイカ (7.3%)、衣類 (5.1%)の順で、リン鉱石も5位に入り、輸入は、乗用車 (32.4%)、トラック (28.6%)、タイヤ (5.6%)であり、上述した矢崎総業もこうしたところでのビジネスを展開されています。

国家概要

国王 ムハンマド6世
首相 アブデルイラーフ・ベン・キーラーン
面積総計 446,550km2(世界56位)
人口(2012年) 32,520,000人
人口密度 72人/km2
GDP(2008年) 1,031億米ドル(同51位)
1人当たりGDP 3,079米ドル

 今回は調査旅行は、カタール・ドーハ經由約18時間のフライトを以て、カサブランカに先ず入りました。
 そして、空港の厳重チェックを受け、空港を出るまで2時間以上掛かりましたが、極めて、明るい白い町に入りました。
 市内は、1920年前後にフランスが職人や料理屋さんを中心にして人を集めて作られた比較的新しい町であり、秩序ある、一方で開放感のある町でした。
 しかし、その裏側では、警察の影なる監視も厳しく、これがカサブランカの安全を守っている背景のようでありました。
 また、この町では、ビニールゴミ問題が多かったことから、今は町をあげてゴミ問題に対処しており、美しい町の維持に貢献しているようです。
 また、訪問したハッサン二世モスクはモロッコを代表する建築物であり、5,850億ユーロを掛けて、国の予算に加えて、国民が寄付をして建築した高さは世界一、規模としては世界六位のモスクとなっています。
 大西洋の荒波を受ける海岸線を埋め立てて作られたこのハッサン二世モスクはモロッコの象徴の一つのようであります。
 こうして移動の直後を過ごした私たちは本格的なモロッコ訪問の旅に入りました。

 モロッコは、一人当たりの国民所得が3,000米ドルを超えており、アフリカ諸国の中では高い所得水準になってはいますが、失業率が10数パーセント、特に大卒の失業率が20%を超えており、格差問題が存在します。
 アラブの春の時期もこれが懸念されましたが、国民から尊敬を受ける国王が民主化に向けて王権の縮小を図る一方、

  • GDPの約20%を占める農業の近代化
  • フランス系をはじめとし、デンソー、矢崎総業、住友電装など日本勢にもよる自動車産業の誘致での経済成長の安定化を背景とした雇用機会の創出と、今後に向けて、
  • ボンバルディアをはじめとする宇宙航空機産業の誘致

などを推進し、格差是正に努めています。
 産業は小麦をはじめ、トマトやインゲンなどの野菜、果物が中心で雇用吸収力は高いですが、干害の影響を受けると低成長になりやすく、実際に2015年の4.4%成長に対して今年は干害の影響を受け、2%成長が予測されています。
 電力は火力、水力が中心、これに太陽熱なども加わり、比較的安定していますが、電力料金は日本並みのようです。
 外資としてはやはり欧州勢が強く、フランス、ドイツ(環境等)を中心にモロッコに進出しています。
 特に最近はアフリカのフランス語圏進出の橋頭堡として、モロッコに関心を示す企業が増えているようです。
 但し、実際には、モロッコ人はフランスに搾取されたとの意識が強く、フランスに対する国民感情は良くないようです。
 また、最近は中国勢がタンジェに大規模な工業団地の建設を計画、影響力を強めつつあり、また、最近は国王が訪中し、モロッコ・中国の国家間関係の強化も進んでいるようで侮れません。
 尚、最近は、中国人はビザ無しでモロッコに入国出来るようになり、この地でもあちこちで中国人旅行者を見かけ、また観光地では、私たちは何度も、
「中国人か?」
と聞かれるほどでありました。
 恐るべし、中国人。
 一方、米国の政治軍事外交のプレゼンスは意外に高いようです。
 そして、我が日本はJICAを中心とした経済基盤支援事業が、以下、7つの柱の中で既に累計100億円弱のプロジェクトが推進されています。

  • 農水産業振興
  • 産業インフラ
  • 水・環境
  • 地方開発
  • 母子保健
  • 基礎教育のアクセス、質向上
  • 仏語圏アフリカ支援

 モロッコの国内産業としては自動車、住宅、飲食などの発展の可能性が指摘されていました。
 家賃は2LDKレベルで50,000円程度、賃金は普通2〜3万円、大卒でも10万円にいかず、失業率の高さもあり、人材の確保は現在は比較的容易のようです。
 最近のトピックスとしては、

  • 本年10月に国政選挙が予定されており、安定化が継続されるのか否か?!
  • アフリカ統一機構への加盟がなされるのか?

 が注目されていました。
 そして、モロッコは、
「アフリカ化」
を目指して今、発展しようとしていますが、その流れに乗った日本の貢献を探って日系各社や、JICA、ジェトロの方々も動いているように思われました。

 さて、今回は地元のタンジェ地中海特別庁ラバト事務所を訪問しました。
このタンジェ地中海特別庁は、国王の指示の下、ジブラルタル海峡側に作られたフリートレードゾーンの建設、管理、運営をしている国営組織で2003年から活動が始まり、現在は、6,000ヘクタール(港湾1,000ヘクタール、工業団地5,000ヘクタール)を持ち、75千人の雇用を生む組織です。
域内には既に約650社が入居、40億ユーロの輸出規模を持っています。
主たる投資国地域は、欧州、北米、中国、インド、日本、主たる進出業種は自動車関連、航空産業が全体の約9割、その他は食品、繊維などとなっています。
進出企業としては、ルノー、矢崎総業、住友電装、ボーイング、エアバス、ボンバルディア、シスコ、マイクロソフトなどであります。
また、海運では、商船三井、マースクライン、China Shippingとなっています。
世界66カ国、167港とのビジネスを持ち、地中海地域有数の港湾設備を持つ、フリートレードゾーンとなります。
尚、このフリートレードゾーンへの外資の進出に際しては、その目的、計画詳細、投資計画、輸出計画の提出が求められ、審査を受けたのちに進出が許可されますが、

  • 雇用機会の提供
  • 輸出の拡大と外貨の獲得
  • 納税

に関して、モロッコにとっての明確なメリットがあれば、許可され、その上で進出に関する補助金をはじめとするインセンティブもモロッコ側から提供される可能性が出てきます。
 モロッコでは、まだ、国内産業の基盤が弱く、今のところは、こうした外資中心の先端産業育成となっていますが、今後は更に国内への産業移転が進むものと期待して見ておきたいと思います。
尚、モロッコでは、タンジェとカサブランカを約2時間で結ぶフランスからの技術支援を受けた高速鉄道プロジェクト、Nador港建設プロジェクト、風力発電プロジェクトなどがこれから推進される予定となっていることを、このラバト事務所の役員からは伺いました。

 一方、日系進出企業の動向を概観すると、モロッコに進出する日本企業は47社、このうち約半分は日本人駐在がいないとのこと、日本型マネージメントが浸透しやすいとの見方がありました。
 また、そうした中、日本企業は既に30,000人を超えるたくさんの雇用創出を行っており、また、地場の協力企業発掘にも努め、現地化を進めているようであります。
 尚、火力発電所プロジェクトが今、日系企業では注目されているようであります。
 また、農業国として、日本から農機具を輸入しており、私が見たところでは、クボタの農機具販売店が幾つか見られました。
 モロッコ側から日本企業が受けることが出来る投資インセンティブとしては、投資基金の支援、税制優遇などがあげられます。
 また、モロッコは、既にFTAを55カ国と締結しており、貿易面では有利な展開を出来る可能性を秘めています。
 そして、日系企業の悩みとしては、

  • 二重課税の危険性
  • 派遣コストが高い
  • 英語が弱い
  • 駐在員の生活環境は総じて厳しい

などが挙げられていました。
 特に、日本との間では投資協定、租税条約が締結されておらず、そうした意味からは、日本の中小企業がいきなり日本からモロッコに直接投資をすることにはリスクがあると思います。

 ここで、モロッコそのものについての雑感を順不同でご紹介していきます。
 モロッコ人の国王に対する尊敬の念は現地人に伺うとかなり強く、一方、フランスに対する不信感はかなり強いようです。
 一般国民の中には格差に対する不満は確実にありますが、国王と政府は、国民たちに、
「将来の希望」
を明確に示しつつ、政策推進しているので、今のところ、国王や政府に対する不満は顕在化していませんが、今後、万一、政策遂行の成果が上がらないと、
「期待をしていただけに国民の失望感は大きくなる。」
と言うことが起こり得、注視する必要がありそうです。
 尚、国王は国民との距離感が縮まるように、町中にもしばしば出向き、対話をしたり、また、モロッコの国王としてはじめて、未婚のまま王位に就いた後、民間人を王妃として迎えるなど、国民との融和に努めているようでありました。
 政治に対する国民の目は厳しく、基本的にモロッコでは、政治に関する宗教色は無く、
「国民生活を如何に豊かにするか?」
を判断基準として国政選挙の投票に臨むそうです。
 上院、下院合計約400人の選ばれし、国会議員は、地元の期待などを背景に議員になりますが、過去には、経済的メリットを示せず、再選されない議員も多く、国王に対する国民の信頼に比して、議員に対する国民の信頼は総じて低いようです。
 尚、国王は議会、議員に対しては、常に中立、また、国王は議員に対する投票もしません。
 こうした一方、経済人は如何にして生まれてきているかと言えば、基本的には14世紀頃から国王に仕えてきた貴族が、その資金力と国内や欧州などで受けた高度教育などを背景にしてビジネスをはじめ、今日に 至っているケースが多く、その中心はまた、フェズ人であるとのことでした。
 こうしたビジネス界の中核人物がガソリンスタンドや不動産、都市部の小売ビジネスに従事しているとのこと、但し、国民から見ると、国王は一定の企業家が勢力を増し、卓越した力を持つことは嫌っており、こうしたことがモロッコにモロッコを代表するような大企業が、少なくとも今は、あまり見当たらない背景のようでありました。
 国民生活は、一人当たりの国内総生産3,000米ドルを超えたとはいえ、まだまだ厳しいようです。
 そして、モロッコ政府の暫定統計などを見ると、高所得層10%、中間層30%、低所得層60%と格差問題が存在しています。
 上述しましたように、国王と政府は、特に、中間層、低所得層に雇用機会を与え、所得向上が叶うように、学校を充実させ、教員を増やし、或いは、外資を導入して雇用機会を作りつつ、所得を増やすことが可能になるように政策展開を急いでいます。
 低所得層の上のクラスの国民はこうした流れに乗り、仕事の場を得、それを背景にして、最近になり充実してきた国内金融機関から資金を借り入れて、住宅や自動車を購入したりしているそうです。(但し、モロッコは、イスラム金融は採用しておらず、私たちと同様の金融システムの中で借金をしているそうです。こうした中、債務不履行となると、担保が銀行に取り上げられると言った事態も当然に起こっています。)
そしてまた、特に住宅供給については、国が国民生活向上を目的として、都市部の近郊に集合住宅の建設を進めており、都市部の若者夫婦(因みに、モロッコの場合、まだ、あまり夫婦共働きは多くないそうです。)や、中間層の国民はここで借金をして、国が建設した集合住宅を買い求めたりしているようでありました。
 また、その集合住宅の近くには職場機会も少なく、交通手段も乏しいケースがあり、そうしたことを背景にして、最近では、中間層は、住宅ローンとともに都市部への通勤などの移動のための自動車を確保すべく、自動車ローンを使って自動車を買い求めることから、自動車ローンも同時に抱える家計が増えているそうです。
 因みに、高所得層は、企業経営者や高級官僚など、中間層は更に三段階ほどあり、弁護士、金融マン、公務員、軍や警察官、外資系企業従業員、教員などが当てはまるそうです。
 モロッコはまた、モロッコ版FBIが強く、これが治安維持に大いに貢献しています。
 こうしたことから、国内移動では何箇所もの検問も受けましたし、サイバーテロ対策や情報管理も努めているようであります。
 また、旅中、軍による落下傘部隊の降下訓練も眺めましたが、日頃よりの防衛体制は整っているとのことでした。
 国内の幹線道路の整備は優れており、また、電気、水道、ガスについても都市部での問題はなく、順調に社会資本は拡充されています。
 更に、エネルギーに関しては、モロッコは石油をサウジアラビアや国交関係の芳しくないアルジェリアの石油をフランス経由で輸入したり、カタールから天然ガスを国営の公社が輸入した上で、フランスの技術を主として導入して、その精製を行うところまでの公社が実施、その小売については、各地域のビジネスマン達が経営するガソリンスタンドなどで販売したり、企業向け販売を実施しているとのことでありました。
 ラバトからメクネスに向かう途中、暫くは大牧場地帯で牛や羊、そして馬といつたたくさんの家畜が飼われていました。
 モロッコはまた、映画のロケ地として使われることも多く、例えばミッションインポッシブル5などの撮影の一部もモロッコでなされたとのことであります。
 また、モロッコは「美しい皮」と言う意味もあるとの説明を現地人から受けましたが、フェズがその革製品の生産一大拠点となります。
 そして、道すがらの楢の雑木林では、7〜8の年月をかけて木を成長させ、その皮を剥いで商品化している様子も見ました。
 また、ここでは、モロッコ人は食べないトリュフを子供達が採り、欧米人に売ったりしているようでありました。
 ところで、モロッコは、ワインの生産地でもあり、今回はメクネスにある高級ワイナリー見学をしました。
 メクネスは17世紀に繁栄した街でその際にはフランスなどからの侵略を恐れ、防御に完璧な城下町となりました。
 こうしたことから、この町には食料、水の保管地区となる巨大な穀物倉、貯水槽、馬の飼育場などもあったところです。
 水については約13キロ離れた水源から地下水で城にまで水を引き、その水を保管したそうです。
 そして、ラジム広場の前にあるフランス人マンスールが設計したマンスール門はモロッコ一の美しい門と言われています。
 この門はローマ遺跡とイスラム建築の融合した門となっています。
 また、メクネスはオリーブの産地でもあります。
 こうしたこともあって、メクネスは、世界遺産にも登録されています。
 さて、私たちが訪問したメクネスのワイナリー、その名は、Zniberです。
 ここでは、フランスのボルドーでワイン作りに従事した責任者の一人から説明を受け、ワインのテースティングまでしましたが、赤白スパークリングに加えてグレーのワインも戴きました。
 4,000ヘクタールの土地から収穫されるぶどうを基にして、約2,000人の労働者が働くワイナリーには活気がありました。
 四つのワイン製造工場を持ち、年間35百万ボトルを生産、その95%は国内販売、5%は海外であり、フランス、ベルギー、米国、ドイツの他、日本の高級寿司店などにはプレミアムワインを輸出しているそうです。
 製造装置の全てをフランス、イタリアから輸入しており、メンテナンスは大変であるとのことです。
 また、木樽もフランス製を輸入しているとのことでありました。
 尚、モロッコでは、フェニキア時代からワイン作りがなされていますが、その後は王朝によってワインが、作られていない時代もありました。
 最近は、主としてフランスから技術を導入してワインが作られています。
 こうして、メクネスを経て、フェズに入りました。
 フェズは9世紀にモロッコ初のイスラム王朝の都が置かれた古都であり、今は大都市・マラケシュを追う大都市となっていますが、伝統を重んじる町としても知られています。
 特に旧市街は狭い道が縦横無尽に走り、一度入ったら出られないほどであると言うことで「迷宮都市」などとも言われています。
 そして、その迷宮都市の中には様々な店舗が並び、食べ物はもとより、鍋作りや大工が作る小さな家具店もあり、面白かったですが、文字通り、迷宮都市で、一度入ると方角が分からなくなりました。
 また、この迷宮都市にはイスラム神学校や大学もありました。
 一方、この一角には「なめし皮」を昔ながらに作る皮組合がありました。
 ラクダ、羊、山羊、牛の毛を剥ぎ、皮をなめし、その上で染色する昔ながらの過程は古典的でありましたが、なめしの段階で鳩の糞を入れてなめす手法のせいか、とても臭く、その工程の大変さを改めて感じました。
 こうしてなめされた皮は職人に売られ、革製品となって店に並びますが、その革製品の販売店もこの迷宮都市には並んでいました。
 こうして迷宮都市を抜け出した私たちは、フェズのスーパーマーケットに入りました。
 Marjaneと言う地場系の大型スーパーマーケットで、日本の大型スーパーと類似、家電製品や衣料、雑貨、文房具、食べ物に至る商品が並び、壮観です。
 ここは、自動車でしか来られず、また、商品の値段も市内の庶民市場に比べると高いことから、所得の高い層のマーケットのようです。
 顧客は皆、一気、大量に商品を買い込んでおり、米国風の購買姿勢を示していました。
 尚、この地場系スーパーよりは、むしろ、カルフールの方が販売されている商品の価格は総じて安いといつた話も現地人から耳にしました。
 また、フェズは、北アフリカ一美しい蒼の門があり、その周辺では、庶民がカフェを楽しんでいました。
 フェズを出るとアトラス山脈を超えて約500キロの道のりをサハラ砂漠に向かいました。
 アルジェリアの国境から約50キロのメルズーカの砂漠の真ん中にあるホテルに宿を取り、夜は民族音楽の宴に興じました。
 その途中、先ずはイフランと言う「モロッコのスイス」と言われる町に立ち寄りました。
 夏は避暑地でたくさんの外国人も訪れる地です。
 また、この地域の近くのエブリ山などには、冬にはスキー場も出来るそうです。
 高級リゾート地として趣のある町でした。
 更に、サウジアラビアとの合作で作られた私立大学もあり、経営学などが教えられています。
 尚、この地域では太古の時代、海が隆起して大陸、そして山脈になったようで、アンモナイトのような化石が取れ、化石の標本がお土産で売られていました。
 続いて、ミデルトと言う町に入り、昼食を取りました。
 このイフランからミデルトに向かう途中、たくさんの遊牧民が暮らす牧畜地帯を通過しました。
 彼らは昔からこの地域で遊牧をしている民で、書類上の権利書は持たないが、既得権として、この地域に自然に生えている草木を家畜に与える権利を持ち、その民のリーダーが公務員となり、地域の管理を行っているそうです。
 この地帯では、草木を育てているわけではなく、自然のままに生える草木であるそうで、国は例えばアロガンオイルを作るためのプランテイングなどはしているそうですが遊牧民の為のプランテイングはしていません。
 更に、国としては、方向性として、遊牧民を都市住民に転換させていきたいとの意向もあるそうで、遊牧民の中からは、教育を受けつつ、都市部で弁護士になったり、教員になったりする人も増えつつあるとのことでした。
 遊牧民の収入は羊や山羊の売買、ミルク、毛皮の売買が主であり、特に、イスラム教の犠牲祭に於ける羊の売買に成功するとその収入は大きいとのこと、しかし、通常は上述した地域の遊牧民のリーダーが、都市部の業者と連携して、家畜をまとめ買いし、遊牧民達はその際の売却代金を得て、生計の一つの軸としているとのことでありました。
 そうこうしているうちに、気候は地中海型、欧州型から変わり、アフリカ型の乾燥地帯に入り、土も赤く更には白くなり、草木が少なくなっていきました。
 すると、オアシスに町が出来るように所々に集落がありましたが、街道沿いのレストランの商店の裏手には建設途中の家が目立ちます。
 これらの家は、都市部周辺の建築物とは異なり、個人が国の許可を得て、税金も払いながら建築している建物であり、お金が出来たところで工事を進め、また、お金が出来たところで更に工事を進めると言う形で建設していくことが多いそうです。
 建物は2〜3階建てが多く、一階は商用として建築主が更に新たなビジネスを始めるか、誰かに貸して収入を得、二階以上を住居ようにすることが多いようです。
 また、これらの地域への電気水道は国営で管理されているとのことでありました。
 尚、こうした地域への電力供給は国営会社が発電と送電を担当しているそうですが、最後の売電については、既に民間に開放しており、地域によっては、民間の大きな売電会社もあるそうです。
 一方、水の供給については、国営会社が水源からパイプラインでの送水、そして消費者への販売も行っているそうです。
 こうして、アトラス山脈越えの際には、高い山々に囲まれた町・ミデルトを通過しましたが、ここは、リンゴの産地であり、昼の食事の際に、マス料理と共に、美味しいリンゴタルトを食しました。
 そして、軍の町・エラシディアに向かいました。
 途中、ジズ渓谷を抜け、ジズダム湖を通過しましたが、予想以上に水が裕福であり、また、アトラス山脈の地下水も豊富であることから、岩山で囲まれながらもしっかりとした川が流れ、その周囲はまた緑が豊富でありました。
 フランス人が軍の拠点として建設した軍の町・エラシディアは、地域の教育水準は高く、様々な軍関連施設がこのエラシディアにはありました。
 そのエラシディアを抜け、暫くすると、「モロッコのグランドキャニオン」と言われ、また、その渓谷には、この地域最大のオアシスを抱える地域を経て、更には、砂嵐の中(想像以上に砂嵐の中の視界は悪く、太陽も見えなくなることから暗くなり、また、風が強かったです。しかし、砂嵐の不気味さを垣間見る思いでありました。)を抜けた後、私たちはエルフードに到着、ここで大型バスから四輪駆動車に乗り換えて、エルフードからこの日の最終目的地・メルズーカに入りました。
 尚、現在のモロッコ軍は米軍との連携を深め、合同軍事訓練などを行っています。
 かつて戦ったフランス軍ではなく、米軍との連携を深めており、また、国連軍の派遣にも積極的であり、コソボやマリなどでの実戦経験もあり、反米諸国と対峙する国としての立場をモロッコはとっているので、米軍との連携はより深くなり、例えば、F16戦闘機も米国から供与されています。
 そして、モロッコ軍の総帥は国王であります。
 因みに、西サハラ問題は、米ソ東西冷戦時に恣意的に作られた問題であり、米国寄りのモロッコの立場はこの頃からより明確になりました。
 モロッコの国防予算は現在、GDPの約2.5%となっています。
 夜は砂漠の星空の下、異国情緒豊かな、太鼓を中心とした民族音楽を楽しみ、私たちも最後にはその太鼓の音に合わせて踊り、床に就きました。
 翌朝は早朝に、このホテルからラクダにも乗り更にサハラ砂漠に入り込み、日の出を見て帰ってきました。
 ラクダは、前後左右に揺れ、また、高く、安定性が悪いでしたが、
「ヤッラ、ヤッラ=行こう、行こう」
とラクダを励ましながら、楽しく乗ってきました。
 目的地の砂丘までは片道30分ほど、東に向かい、アルジェリア国境の地平線から上る朝日を満喫、さながら、元旦の初日の出のようでありました。
 ラクダを率いるガイドは若く、ホテルから20キロ離れた村から歩いてホテルに通っているそうです。
 家族は両親と妹達が4人の七人家族、妹達は工芸品を作り、彼はそれを外国人観光客に売ることもしています。
 生活は楽ではなく、都市部に行きたいとも言っていましたが、この地の自然味溢れる生活も好きであると言っていました。
 このサハラ砂漠の地は水脈が浅いところでは砂を1メートルも掘ると湧いてきており、水には困らない、電気も最近は国が送電線を引いてくれたので、安心、但し、電気料金が高いのが玉に傷と言っていました。
 現地語ベルベル語の他、独学で英語、フランス語、スペイン語、イタリア語は話せるそうで、私とは英語でしっかりと会話をしました。
 また、ここを訪れる外国人観光客は、フランス、スペインが多く、更にはイタリアなどの欧州人が中心ですが、日本人も比較的多く、更に最近では、中国人も増えているようでありました。
 とても楽しい2時間のラクダ旅でした。
 尚、モロッコのラクダには生まれた時からその耳にICチップが埋め込まれるそうです。
 ラクダを連れてアルジェリアなどから入ってくるテロリスト対策とラクダの密輸などの防止の為だそうです。
 国境付近の治安の良さの背景には、こうしたこともあるのですね。
 そして、メルズーカよりエルフードに戻る途中、町の入り口で、ナツメヤシの実のウィークリー卸売り販売市場を眺めてきました。
 ここで再び大型バスに乗り、エルフードからカスバ街道を西に進む約400キロの道のりをアイトベンハッドウに向かう途中、先ずはこの地域の土着民で彼らの祖先が地下三メートルほどの深さの地下水路を建設、その水路の管理をしていたと言う(因みに今は、水道パイプラインが整備され、この地下水路は観光の対象とされており、土着民達は、土産物販売とお茶の提供で生計を立てています。)ベルベル人のテントを訪問しました。
 その後、長い行程を経て、有名なトドラ渓谷に入りました。
 この渓谷にはアーモンドとクルミの木がたくさん育っていました。
 更に薔薇の町・ケレアメグーナを通過しましたが、その際にRose Soffiと言うモロッコ最大手の薔薇オイル、薔薇香水の製造会社を訪問、社長の子息に話を聞きました。
 この会社は2002年設立で5ヘクタールのバラ園からスタートし今は14ヘクタールのバラ園の花を使って製品を製造しているとのこと。
 この会社は2002年以前には薔薇そのものを生花として生産販売していたようですが、バラの花の価格下落を背景に経営の転換を決意、その際に社長の友人がバラ水、バラオイルの生産技術を持つ国王の技術者として働いていたことをきっかけに、その技術者からバラ水、バラオイルの生産技術を学び、独自に生産機械も作りつつ開始2002年の会社設立となったとのこと。
 現在、常勤社員はファミリー中心の12人、生産期間中は工事用労働者を6人、収穫期には80人を臨時雇用しているとのこと。 
 製品のボトリングは自社、瓶はカサブランカの業者から購入、当初の販売は国内向けに粛々としていたようですが、その後、フランスメーカーが原材料として同社の製品を購入することとなり、現在はフランス、イギリス、米国を中心に輸出が80%以上、輸出はユーロや米ドル建てで決済、製品は海外の輸入企業が同社までトラックなどを手配し、カサブランカ経由、船で輸出され、代金は銀行の送金決済をされているようです。
 尚、バラ水はバラ1キロから1リットル、バラオイルは、バラ5トンから1リットルしか抽出されないそうです。
 モロッコの起業の一つの事例を垣間見ました。
 その後、モロッコのハリウッドと言われ、アラビアのローレンスなども撮影された町・ワルザザートを見学しました。
 ここには、アトラス社の撮影スタジオなどもありました。
 また、この町は1980年頃より大きく発展した新しい町であり、モロッコでは最も犯罪発生率の低い町とのことでありました。
 こうして、この日の最終目的地である、世界遺産のアイトベンハッドウ近郊に入りました。
 ここでは、モロッコの方と結婚された、デザイナーでもある日本人女性実業家が進めるホテルプロジェクトの現場を見学した後、彼女のお話をお聞きしました。
 建設中のホテルは日本風とモロッコ、アフリカ風を兼ねた、14室の「プチホテル」であり、贅沢なつくりです。
 もともと、トイレには思いがあると言う彼女は、トイレも一台60万円にもなるウォッシュレットを日本から輸入しつつ、現地の漆喰作りの個性ある部屋作りに腐心され、日本人設計者とモロッコ人のご主人の幼馴染と言う大工の棟梁の力を上手に取り込み、彼女の理想のホテル建築を進めています。
 但し、電力供給が足りないことが判明し、現在、電力会社と交渉中とのことで、プロジェクトの進展は遅れているとのことでありました。
 また、そもそも彼女は、大学を卒業する直前に旅行でこのモロッコを訪れ、街で知り合った若い男性が、
「僕は今まで、家族を支えて生きてきた。
だから今年1年はおやすみしているんだ。」
と言った言葉に惹かれ、
「自分も大学を出てすぐに働くことはないのではないか。」
と思い、この地に根付き、今のご主人はその時の若いモロッコ人だそうです。
 それからは、モロッコに少しでも役立とうと遮二無二活動されてきたそうです。
 こうして、色々なお話を聞く中、ビジネスの視点からの注目したお話のポイントは次の通りです。

  • モロッコ人は金銭関係に関しては、基本的にはファミリー以外は信用していない。
  • ビジネスに関しては、一般的には人に使われるのを嫌がり、経営者になりたがる。
  • 株式会社制度はあるものの、基本的にはファミリーが株主となっているケースが多い。
  • こうしたことからも、モロッコには大企業が育ちにくいと言える。
  • 銀行のシステムは日本に類似、担保制度もあり、返済不能となると担保は債権者に回収される。
  • 銀行の与信審査は日本よりは緩そうである。

 そして、
「アラブの民は一般的には日本人を尊敬している。」
ことを忘れないで欲しい、と言うことを強調されていました。
 実際に、各所で日本人かと尋ねられ、親しくお話もしましたし、また、旅行を通じて案内してくれたモロッコ人ガイドの方も温厚かつ知性に溢れる人物として、私たち一行に様々なことを教え、そして伝えてくれました。
 こうした点、特筆したいと思います。
 更に世界遺産の町・アイトベンハッドウでは、カスバの集落を見学しました。
 ここは、川のほとりにある集落で12世紀よりラクダの隊商達のお休みどころとして栄えた地域でありますが、今はこの地域はグラディエーターやインディージョーンズなどの映画の撮影にも使われ、その結果として観光地化もし、カスバに住む人たちは観光客にお土産を売ったり、ミント入りのお茶と伝統菓子をもてなしたり、或いは、サフランとお茶の汁をベースにしたあぶり出しの絵を描き売ったりしていました。
私たちはその一つのカスバ、民家の中に入り家を見学、その際に、その家の16歳になる娘さんにもてなしてもらいつつ、彼女と話しましたが、彼女は今年中学を卒業し、母親と一緒に絨毯を織ったり、家の仕事をしているそうです。
 高校は大きな街に行かないと行けず、こうして両親を支えるのは楽しいと話しつつ、毎日の生活では、機織りが楽しい、将来の夢は素敵な人と結婚することと、明るく語っていたのが、印象的でありました。
 尚、彼女の家は、かつて映画のグラディエーターが撮影された際に映画スタッフ達のやすみ処として使ったことから発展したそうです。
 カスバの集落は、一つの丘を占めており、その丘の頂上には、共同の備蓄庫と見張り小屋がありました。
 古のラクダの隊商になったような趣を感じつつ、アトラス山脈の峠に向かいました。
 この峠越えの道はフランス人が開通させたマラケシュと内陸を結ぶ幹線道路であり、今は国が道路整備を進めて利便性を高めようと工事を開始したところであります。
 そして、この2,260メートルの標高にあるティシュカ峠にあるレストランに入り、アルガンオイルの組合見学をしました。
 アルガンの実はここでは取れないそうで海岸沿いのアトラス山脈の町・アガディールで栽培されたアルガンの実を当地では人力を使って、実の皮を先ず剥ぎ(これは家畜の高級な餌として高く売れるそうです。)最後に残ったかぼちゃの種のような実を、臼で引きながら油を搾り、アルガンオイルの各種製品に、搾りかすも石鹸などの商品にするようで、無駄のない製品作りがされています。
 アルガン組合の組合員達は、こうして助け合いつつ、作業を行い、売れた金額からそれぞれ配当を受けるようです。
 ここで簡単にこの組合の仕組みを解説します。
 組合は国王の意向を受けて国が運営する組織であり、企業ではありません。
 アルガンの実の栽培地アガディールに本部を置いていますが、全国約1,000箇所に生産、販売組合支部を持っています。
 国は地方部の女性達の実入りの良い職場機会の提供の為に、全国に支部を展開し、このティシュカ峠の支部は、生産はもとより、街道沿いの販売機能も持ち、全国でも有名な支部となっています。
 また、全国の支部には本部・アガディールから女性指導者達が派遣されて、現地の女性達を指導しているそうです。
 私もこうして作られたアルガンオイルを買ってみました。
 このように、今回のモロッコ訪問最終日はアイトベンハッドウでのカスバ集落見学とアトラス山脈峠越えを経て、マラケシュに入りました。
 マラケシュは「紅い(サーモンビング)町」であります。
 木々の多い町としても知られ、最近は欧米人の人気は高いです。
 バフイア宮殿を先ず訪問しました。
 この宮殿は18世紀にアルハンブラ宮殿をモデルにして当時のバハナ首相が時間をかけて作った宮殿であり、綺麗な宮殿となっています。
 そして、サアード朝墳墓群を眺めましたが、素晴らしい廟でありました。
 続いて世界遺産に登録されたジャマエルフナ広場に向かいました。
 猿回し、蛇使いのような大道芸人が多く、また、屋台の並ぶところで、
「人生の大学」
と言われるほど、面白いものが集まるところです。
 更にその奥にはスーク、即ち、市場があり、そこに入り込みましたが、今はそのスークに約4,000店舗が軒を並べ、食べ物から服、雑貨、靴などを売っています。
 店舗一つ当たりの権利は大体200万デイルハム、日本円で2,000万円ほどしているそうですが、ここの店主の多くは、1960〜1970年代に田舎からマラケシュに出てきて、新市街に移り住む為、権利を売ろうとしていたそれまでのオーナー達からその権利を買い取り、今日までビジネスを続いてきた商人が多いようです。
 そして、私たちに対する、彼らの、なかなか、面白い商売の駆け引きを見させて貰いました。
 ところで、最近は、このスークをはじめ、モロッコ各地にはMade in Chinaが溢れているそうです。
 このスークでも、中国製の「タジン鍋」や帽子、玩具などが出ていました。
 ここでも恐るべし、中国人です。
 尚、旅を通してみると、モロッコの現地食は比較的味に個性がなく、また、一般的に味付けも薄いので、私たちには食べやすいものでした。
 また、今回宿泊したホテルはいずれも居心地の良いホテルでしたが、中でも気遣いの良いホテルが多かったことが印象的でありました。
 特に、最後に宿泊したマラケシュのHotel les Deux Toursと言うチュニジア人オーナー、インドネシア・バリなどでリゾートホテルの統括責任者をされていたドイツ出身の女性チーフ・マネージャーが運営するホテルは、 マラケシュ市内からは離れているものの、施設、雰囲気、ホスピタリティー、食事など、何を取っても一流で旅の最後に印象的な夜を過ごすことが出来ました。
 また、出発当初は、バングラデシュの事件などもあって、アルジェリア国境地帯など、皆様をお連れするに当たり、安全は大丈夫かと心配しましたが、予想を遥かに上回るモロッコ治安当局の力を背景にして、安全性の高い国でもありました。
 そして、治安のみならず、エボラ出血熱のような保険衛生にも強い国であることを改めて実感した次第であります。

 こうして、モロッコ国内総移動距離約2,000キロの今回のモロッコ訪問を終了しました。

 最後となりますが、モロッコはアジアの国々の開発段階に一般的に見られた繊維のような軽工業からスタートするステップは踏まず、いきなり外資を軸とした自動車、宇宙航空産業を誘致、これを中核とした発展ステップに入っています。
 但し、それらは、基本的には王族ファミリービジネスを背景とする国営ビジネスの域であり、その他一般は個人零細のファミリービジネスで、農業や不動産、建設、飲食業が中心のようです。

 そして、この10年続く私たちのミッションは日本と世界の経済的繁栄、共栄を求めるものとして、草の根で動いているものであります。
 大企業の皆様のように影響力は強くないかもしれませんが、技術力を持つ日本の中小企業は、技術導入の視点からすれば、海外企業に強い影響力を持つ可能性を秘めていると私は考えております。
 そうした中、今回のモロッコは、私がかつて国際協力銀行様の仕事で手掛けたモンゴルのように輸入代替化を進める上からも日本の技術力を持つ中小企業の力を必要としていると感じております。
 そしてまた、日本企業にとっても、エジプト、ケニア、南アフリカ、コートジボワールに代わるアフリカ進出の橋頭堡としての潜在性を高めていると私は見ています。
 日本の技術力を持つ中小企業の皆様が先ずは、この国の国王を中心とする既得権益層が望む雇用創造力がある、技術とこれまでの日本企業の経験を移転、その際にきちんとモロッコ側からテクニカルトランスファーフィーを戴き、共栄を目指すことが出来ればと考えており、その為にも、先ずはモロッコの企業の精査をし、そのモロッコの企業に対して、国際協力銀行からツーステップローンのような形で、モロッコの金融機関も育成しつつ、モロッコ政府が望み、モロッコの発展に資する産業全体を育て、そのモロッコ企業に対して、日本の経験と技術力を持つ中小企業から技術移転をしてもらい、モロッコ企業の繁栄と共にモロッコの外貨獲得と 輸入代替化を推進すると言うプロセスが必要ではないかと感じました。
 欧州や中国本土のようにマス・ビジネスだけでモロッコに関与するだけでなく、日本らしいモロッコに対する貢献と日本のメリットも求めて、引き続き努力したいと思います。

引き続き宜しくお願い申し上げます。


 
以上
 
愛知淑徳大学 ビジネス学部・ビジネス研究科
教授 真田 幸光


真田先生のプロフィール
真田 幸光氏(さなだ・ゆきみつ)
愛知淑徳大学ビジネス学部教授。
1957(昭和32)年生まれ。81年慶大法卒、東京銀行(現・東京三菱UFJ銀行)入行。韓国延世大学留学、ソウル支店、資本市場第 一部、BOT International(H.K.)Ltd.出向などを経て、97年独系ドレスナー銀行東京支店・企業融資部長。98年愛知淑徳大学ビジ ネス・コミュニケーション研究所助教授に就任。2002年4月同 教授、2004年4月より現職。
著書は『日本の国際化と韓国』、『アジアの国、日本』など多 数。 NHKクローズ・アップ現代などテレビ、ラジオ出演をはじめ、中小企業大学校ほか活発な講演活動を展開中。
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