今回も中東情勢について簡単に眺めてみたいと思います。
即ち、中東情勢は、
*イスラエルパレスチナ問題
*イスラム教国内部のイランとサウジアラビア、そしてトルコの力関係
*ロシアも関与するシリア問題
などを軸にして、更に、その中東情勢に大きな影響を受ける欧州の思惑も絡み、複雑に推移しています。
また、そもそもイスラエル建国に深く関与した英国の思惑、また、その英国自身がBREXITで揺れる中、より一層、複雑骨折化しているとも言えましょう。
難しい情勢です。
そうした中、今日は
「シリア内戦」
について簡単に眺めてみたいと思います。
シリア内戦は、アラブの春以降のジャスミン革命の延長線上で起こったもので、2011年3月から始まったとされています。
アラブの春の波がシリアにも届き、初期はデモ行進やハンガーストライキなど市民による抵抗運動でしたが、毎週金曜日に行われる礼拝の度にインターネット上でデモが呼び掛けられ、運動は過激化していきました。
そして、2011年3月15日、シリア各地の都市で一斉にデモが行われ、抗議者と治安部隊が衝突、この日がシリア内戦の始まった日だとされているのであります。
反政府側の要求は、全ての政治犯の釈放と、抗議者を殺害した者への裁判の実施、令状なしで容疑者を拘束できる「非常事態法」の撤廃、汚職の根絶、更なる自由などでありました。
政府側は、政治犯の釈放や非常事態法の撤廃、内閣の辞職など要求の一部を受け入れて譲歩姿勢を示しましたが、市民の行動は収まらず、政府側が軍を投入して鎮圧を図ると、市民も武装して対抗するようになりました。
更に、政府軍の大佐だったリヤード・アスアドが離反し、「自由シリア軍」という反政府武装勢力を結成し、一部の兵士たちもこれに次々に合流しました。
ここに「政府」対「市民」という構図から、「政府軍」対「反政府軍」という構図へと発展したきっかけが見られます。
こうして武力闘争に発展、深刻化したシリア内戦が始まってから約8年が経ち、2019年3月15日に発表されたイギリスの監視団体の報告では、シリア内戦による死者は約37万人、難民は約1,300万人に上ると報告されています。
さて、その後、ロシア、イラン、トルコの三国も関与しているシリア内戦は、反政府軍、ならびにISが今なお、一定の勢力を維持していると見られています。
特に、シリア北西部イドリブ県の現状を見ると、空爆によって、逃げ場なく各地をさまようシリア難民がまだまだたくさん見られます。
こうした中、シリアに新しい憲法を、などの問題について、上述した関係国も含めて会談を行われていますが、なかなか解決の道は見られません。
シリア和平に向けてのこのロシア、イラン、トルコ三国の関心は特に強いです。
上述しましたように、シリア情勢の解決は、政治的に複雑であり、それは、現状で見ると、
「イランとロシアが、シリアのアサド政権を、軍事的にも支援している」
一方で、
「トルコは、シリア反政府軍を支援している」
ことによることも大きいので、この3カ国による協議は大いに意味があります。
また、トルコ政府は、
「シリア内戦を逃れトルコ国内に難民としてやって来るシリア住民の問題で、頭を抱えている。」
ことから、この問題も解決しなくてはなりません。
ところで、シリアのイドリブ県は、反政府軍にとって、最後に残された拠点であり、またイドリブ県には、3百万人にのぼるシリア一般住民が暮らしています。
そして、4か月来、シリアのアサド軍は、イドリブの反政府軍への攻撃をし続けていている結果、既に何千人ものシリア住民がまき込まれ、命を落としています。
アサド軍をサポートするロシア、イランと反政府軍を支持するトルコの調整が如何につくのか、つかないのか、引き続き注目したいと思います。
いずれにしても、
「泣くのはいつも庶民」
ではいけませんよね。
世界の政治的リーダーには、倫理観を持って目を見開いてもらいたいものです。
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