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2020年2月[Sanada発 現場から]


日本の今後、そしてリーダーシップに対する私見


[はじめに]
 今回は、1985年に起こったプラザ合意に関連した日本の当時の状況と今後について、そして、リーダーシップに関する私の考え方をご披露申しあげたいと思います。
 少しでもお役に立てば幸いであります。

[プラザ合意と日本]
私が東京銀行に入行して4年目、私は韓国ソウルで語学研修をした後、その秋にソウルで開催された、世銀・IMF総会に末席で参加させて戴きました。
当時の米国のボルカーFRB議長の大柄な体と野太い声を今でも忘れられません。
そうした意味で、私にとって、1985年はとても印象に残る年でありましたが、世界経済、日本経済の視点から見ると、この1985年には、
「プラザ合意」
なる、
「とんでもない」
出来事が発生した年でもありました。
米国は今、
「為替操作国を認定した上で、その認定国に対して、事実上の制裁を加えている。」
訳でありますが、
「米国自身が意図的に他国に圧力を加え、為替操作をし、表面的には国際合意をした形にするという形での為替操作をすることは許される。」
のでありましょうか。
私にとって、そうした意味でもこの1985年は印象的な年となりました。

さて、そのプラザ合意とは、1985年のG5で、一方的な米ドル高を是正すべく、アメリカ・日本・英国・フランス・ドイツのG5全ての国が協調して為替介入を行うという取り決めのことで、この後1年で、為替相場は1米ドル=約240円台から1米ドル=160円まで急激な円高米ドル安に変動しました。
そして、様々な見方、評価が出来ますが、このプラザ合意が齎した大きな影響の一つは、日本のバブル景気(不動産価格と株価の暴騰に象徴的に見られるバブル経済)とも言われています。
即ち、急激な円高により、日本の貿易黒字(輸出)にブレーキが掛かる一方、1980年代当時は現在のように企業や個人が海外投資を行う土壌は無かったので、国内でマネーがだぶつく「バブル」が発生しました。
そして、そうした資金余剰に拍車を掛けたのが、日銀の当時の金融引き締め策の遅れであったかと思います。
円高不況を最小限に留める目的と、二度のオイルショックが終わり、インフレ率が沈静化していたので、引き締めの必要性が小さかったことも影響し、株や不動産への投資熱が高いにも拘らず、利上げでバブルを抑制する事を当時の日銀は行わなかったのです。
こうして、日本には、かの有名なバブル景気が訪れ、この時、世界の企業時価総額トップ10のうち8社までを日本勢が占め、また、
「山手線内側の地価だけで全米の地価を上回った。」
と言われるほどのバブルとなり、その後、日経平均株価は1989年末に、不動産バブル(公示地価)は1991年にはピークに達したのであります。

もう一つの大きな影響は、円高により、
「Made in Japan製品やサービスの国際通貨たる基軸通貨・米ドル建て価格が相対的に上昇し、この結果、国際価格競争力を失ったことから、多くの日本企業は生産拠点を日本国内から先ずはアジアNIES(韓国、台湾、香港、シンガポール)に移す動きを拡大する。」
と言う状況が発生しました。
上述しましたように、1984〜1987年までソウルに駐在していた私のところには、韓国と他のアジアNIESとの比較をして、どこに生産拠点を移したらよいかというFeasibility Studyをする日本企業の方々の訪問を、平均すると1日3件は受けると言う状態であったことを思い出します。
そして、実際に多くの日本企業は、アジアNIE’Sに、その次にタイやマレーシア、インドネシアやフィリピンなどの東南アジアに、また、本格的な改革・開放路線を1994年から開始した中国本土に生産拠点を移し、日本を基軸とした、
「雁行型経済」
が東アジア、東南アジアに生まれ、アジアの「世界の工場化」がここで、一段と進展しました。
こうしたことからすると、今のアジア各国の産業発展は、プラザ合意が遠い背景となっていると言えましょう。
しかし、こうした一方で、日本の産業は、日本企業が日本を脱出する傾向を強めたことから、
「日本には産業の空洞化現象が見られた。」
とも言われ、日本経済の衰退に拍車をかけたとも言えましょう。
上述した点を総合し、日本を軸にして考えると、私は、
「日本は、プラザ合意による円高を理由に、安易に海外に生産拠点を移すのではなく、歯をくいしばり、Made in Japanを守り、その為の技術開発投資、コスト削減投資を上述したバブル資金から捻出、日本からの輸出、日本からの生産技術供与を進め、日本を守る。」
と言う行動をとっていたならば良かったのではないかと考えます。
そして、更に申し上げれば、今、生産拠点を海外に移し、グローバル化する大企業がある一方、高い技術、ノウハウを持ち続ける中小企業が日本に今もなお、たくさん存在していることを考えれば、こうした中小企業を、日本は産業としてしっかりと守り、
「日本に居ながらにして外貨を稼げる企業」
として発展していけるよう、日本全体でサポートをしていけば良いのではないかとも考えています。

[リーダーシップについて]
 さて、上述したような判断をしっかりと行っていく際には、
「リーダーの冷静沈着な判断」
と言ったものが必要となりましょう。
 そこで、今回は私のリーダーシップんに関する考え方をご披露させて戴ければと存じます。
以下が、私のリーダーに関するコメントで恐縮です。
「リーダー不在の世の中」
と言われて久しく、
「リーダーたちは我欲に走る人ばかり」
とも言われています。
 そうした中、
「真のリーダー」
とはどういう人を言うのでありましょうか?
「審理を求めつつ考えるリーダーとは?」
 私は次のように考えます。

1.   リーダーは我欲を優先させては決していけない!!
2.   全ての最終責任を負う覚悟がなくてはリーダーとは言えない!!
3.   人の手本となるべく、率先垂範する意欲を常に持たなくてはいけない!!
4.   常に死する覚悟を持つ。それは即ち、死ぬことではなく、いざと言うときに立ち向かう、勇気と知恵を持ち、困難や失敗を乗り越えていく力を備えていることである!!
5.   人の為、社会の為に生きることが好きでなくてはいけない!!
6.   自らと部下の特徴や実力を正しく理解、評価し、自らの組織内にあっては切磋琢磨し競争して実力の底上げを図ると共に、他者と対する際には、自らと部下が協調をして、自らの組織の目的を達成するために全力を尽くす、こうしたことができなければならない!!
7.   部下の邪魔をしてはならない!!部下にのびのびと仕事をさせ、自らはその方向性と手段に間違いがなきように上手に誘導していく、そして、結果の責任は取ってやる。
8.   人材育成を任務と心がけ、人づくりに邁進せよ!!自らやるのではなく、部下に対して適切な目標を示し、要望や追及を重ねて部下自身にやらせながら、部下の育成を実践すべきである。
9.   慎重に考え、決断し、決断をしたことを実行する、そして、その結果に対して責任を持つ覚悟を持たなくてはならない!!
10.           熱い心、清らかな魂を持ち、人の情を大切にしなくてはならない!!

 私は、そうしたリーダーたちが世界各国に出現し、その素晴らしきリーダーたちが地球規模、つまりGLOBALにものごとを考え、協調していく、Hegemony=覇権ではなく、Balance=均衡を以って、世界をリードしていく様子を今、強く夢見ています。

引き続き宜しくお願い申し上げます。


以上

 
愛知淑徳大学 ビジネス学部・ビジネス研究科
教授 真田 幸光
 


真田先生のプロフィール
真田 幸光氏(さなだ・ゆきみつ)
愛知淑徳大学ビジネス学部教授。
1957(昭和32)年生まれ。81年慶大法卒、東京銀行(現・東京三菱UFJ銀行)入行。韓国延世大学留学、ソウル支店、資本市場第 一部、BOT International(H.K.)Ltd.出向などを経て、97年独系ドレスナー銀行東京支店・企業融資部長。98年愛知淑徳大学ビジ ネス・コミュニケーション研究所助教授に就任。2002年4月同 教授、2004年4月より現職。
著書は『日本の国際化と韓国』、『アジアの国、日本』など多 数。 NHKクローズ・アップ現代などテレビ、ラジオ出演をはじめ、中小企業大学校ほか活発な講演活動を展開中。
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