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2019年10月[Sanada発 現場から]


イスラエル漫遊記


今年、企業経営者の方々などをお連れして出向いた国は、
「イスラエル」
となりました。
 例年各地を訪問、昨年はケニアに出向きましたが、今年は、
「日本が連携する国は、英国、新日英同盟の締結を。
 そして、その日英同盟を基軸として、スイス、イスラエル、シンガポールとDeal by Deal, Case by Caseでの緩やかな連携を!!」
と唱えてきました私にとって、イスラエルは皆様をお連れして訪問しなければならない国でありました。
 そうした意味で、とても意義のある海外出張となりました。
 以下は、そのイスラエル漫遊記をご覧ください。

イスラエルに関して、素人が軽々にものを言うと、親イスラエル派、反イスラエル派双方から、非難の対象に会うことが多いです。
従いまして、先ずは、公開情報を元にした、イスラエルの実態を確認したいと思います。

イスラエルは、中東のレバントに位置する国家であり、北にレバノン、北東にシリア、東にヨルダン、南にエジプトと接する国です。
ガザ地区とヨルダン川西岸地区を支配するパレスチナ自治政府とは南西および東で接しており、地中海および紅海にも面しています。

そのイスラエルは、シオニズム運動を経て1948年5月14日に建国されました。
但し、
この建国の経緯に根ざす問題は多いとされ、これが、現在の中東情勢の根源にあるとも言われています。

では、その建国の経緯ですが、自民族の国家を持たなかったことにより、600万人のユダヤ人が殺されたホロコーストの教訓から、イスラエルは、
「全世界に同情されながら滅亡するよりも、全世界を敵に回して戦ってでも生き残る。」
ということを国是にしているとも見られており、実際に、
「イスラエルの存在に疑問視を続けるイランに対するイスラエルの姿勢」
を見ていると、そうしたイスラエルの考えが垣間見られます。

さて、私たちのミッションは政治、軍事、外交に関心は持ちつつも、その根源は経済でありますから、何よりもイスラエル経済について学ぶことが目的であります。

イスラエルは建国直後の1949年に国際連合へ加盟しました。
イスラエルは157の国連加盟国と外交関係を有していますが、残りの国連加盟35か国のうち、サウジアラビアやシリア等のイスラム圏を中心とする26か国はパレスチナ問題を理由として建国以来一度もイスラエルを国家承認しておらず、また、イランやキューバなどの9か国は一時期イスラエルと外交関係を有していましたが今は関係が断絶してます。

イスラエルのGDPは、約3,700億米ドルとなっています。
一人当たりの名目GDPは約42,000米ドルと日本よりも多いです。
イスラエルは先進国として認定される「OECD加盟国」であります。
但し、貿易収支は慢性的な赤字となっており、最新データでも約95億米ドルの赤字となっている点は注目されます。
ところで、イスラエルは中東のシリコンバレーとも呼ばれ、インテルやマイクロソフトなどの世界的に有名な企業の研究所があります。
大企業は少ないがベンチャー企業は多いことでも知られ、失敗を恐れない起業家精神に富んだイスラエルの国民性が影響していると考えられています。
そして、そうした新興企業の経営者を上手に束ねているのがネタニヤフ首相と言えましょう。
イスラエルは約人口900万人の小さな国ではありますが、農業、灌漑、そして様々なハイテク及び電子ベンチャー産業において最先端の技術力を持つとされています。
建国からしばらくは、共同生活と、主導的立場にあった労働シオニズムの影響から社会主義的な経済体制であったとされています。
そして、建国当時は産業基盤もない上に周辺アラブ諸国との戦争状態にあるという悪条件でありましから、苦難を多く抱えていたようですが、その後、ドイツの補償金やアメリカのユダヤ人社会から送られる寄付金など海外からの多額の資金援助を受けて、上述したような分野を軸に経済を発展させていきました。
その後、経済発展に伴い、1980年代後半に入ると、ヨーロッパ諸国及びアメリカと自由貿易協定を結ぶなど自由主義経済へと転換していき、1990年代の加速度的な経済成長をもたらしました。
2001年から2002年にかけて、ITバブルの崩壊とパレスチナ情勢の悪化により経済成長率がマイナスに転じるものの、2003年以降は堅実な成長を続け、2008年のリーマン・ショック以降も基本的にはプラス成長を維持、上述しましたように、2010年にはOECDにも加盟しました。
また、イスラエル経済の発展にはアメリカ政府からの累計で300億米ドル以上という多大な経済援助が大きく寄与しているとの見方がある点、付記しておきます。
1990年には、イスラエルへの直接投資は1.51億米ドル、証券投資はマイナス1.71億米ドルという僅かなものでしたが、それが直接・証券ともに漸増していき、特に1998年から飛躍、2000年には直接投資が52.7億米ドル、証券投資がプラス46.13億米ドルに達しました。
こうした外資の集中投下がイスラエルの経済成長率を回復させ、2011〜2013年の間にはアップル・グーグル・マイクロソフト・フェイスブック、Amazon.comがイスラエルのベンチャーキャピタルを買収、2012年でイスラエルのベンチャーキャピタル投資額は、総額で8.67億米ドル、英仏独とおよそ等しく、日本やカナダの3/5程度となりました。
国内総生産対比では、イスラエルのベンチャーキャピタル投資は0.36%と米国を上回っています。
また、イスラエルのバイオ、アグリなどの農業技術も先進的であり、国土のほとんどが砂漠または半砂漠で降雨量も少ないといった農業には厳しい環境ながら食糧のほとんどを自給でき、農産物の輸出も行う農業大国となっています。
少ない水資源を有効に活用するため、水のリサイクルに力を入れ、リサイクル率は70%を超えており、また水の利用効率が高い点滴灌漑を行っています。
設備の制御は携帯電話などのモバイル機器からも可能であるという[という点がイスラエルらしい特徴です。
更に、取水も効率的であり、ヨルダン川の流域は3%しかイスラエルを通っていないのに60%を国内需要に充てていると言われています。
そして、なんと海水淡水化にも優れた技術を持ち、2005年以降、地中海沿いに相次ぎ淡水化プラントを設置し、2017年時点ではイスラエルで消費される飲料水の約8割が海水から作られているそうです。
車載型の海水淡水化装置も実用化、そうした中、イスラエルのウオータージェン社は大気中の水分から飲料水を作る技術を持ち、水道の漏水防止や運営管理などを海外で請け負う企業もあります。
こうしたイスラエルに魅力を感じたインドのモディ首相は、2017年7月に、イスラエルとの間で水・農業分野の協力覚書を結んだほどです。
一方、ダイヤモンド産業はイスラエル経済を語る上で重要な位置を占めるとされています。
イスラエルはダイヤモンドの 流通拠点として世界的に有名であり、研磨ダイヤモンドの輸出額はイスラエルの総輸出額のうち約四分の一を占めています。
イスラエルはダイヤモンド産業を政府主導で基幹産業へと発展させてきました。
産業の確立にはユダヤ系資本のデビアスが貢献しました。
また、倫理観的には疑問視されますが、イスラエルは、兵器産業にも注力、経済に大きな影響を与えています。
高度な技術の民間転用がハイテク産業を急成長させ、また兵器の輸出によって直接的な収入源ともなっています。
少し古いデータですが、2010年時点では兵器製造企業は約200社ほど存在しているそうです。
一方、イスラエルの鉱業を支えているのは、カリ塩とリン鉱石、金属鉱物は採掘されていません。
有機鉱物では亜炭、原油、天然ガスを産出するものの、国内消費量の1%未満に留まっています。
尚、天然ガスについては、イスラエル沖の東地中海に大規模ガス田が発見されており、ギリシャ企業のエネルジーン・オイル・アンド・ガス社が2019年にも採掘を始める計画であると見られています。

さて、こうしたイスラエルを現地では約一週間、訪問してきました。

今回は、韓国の仁川経由イスラエルのテルアビブに入りました。
途中、仁川空港では突然、全く自動的にスマホが起動初期化され、アクティベートされず、結局、今回の旅行では全くスマホが使えず、iPadしか使えぬ状況となり、仲間からは、冗談で、
「真田は韓国の制裁対象だ。」
などとからかわれながら、旅はスタート、テルアビブ入りしました。
今回はそうした意味で通信面では苦労しました。
つまらぬ事を書きました。
さて、ここからが、真田のイスラエル漫遊記のはじまり、はじまり。

テルアビブ、これは、「遺跡の丘」という言葉と新しいものを迎える季節である「春」を意味する言葉を繋げた名前で、この街は、
「古きものと新しきもの、それぞれを大切にする」
というイスラエルの民の思いが込められたネーミングをされた街、これがテルアビブと言う街の名の由来となっているそうです。

テルアビブのインフラは先進国としての整備がなされ、通信インフラの良さをはじめ、特段の問題もありませんが、
「道路面積に対する自動車台数の多さ」
と、
「鉄道の整備の遅れ(因みに、トルコと中国本土に鉄道開発を任せてきているが、企画などの問題で既に3年程度遅延しているとのこと)」
など、交通インフラには課題があるようです。
もう一点、人口増加に追いつかないテルアビブをはじめとするイスラエル国内各地の主要都市では、庶民たちから、
「一生かかっても自分の家が持てない国などおかしい。」
とのデモが起こり、今、テルアビブでも、高層マンションの建設に政府も力を入れているそうです。
そして、街中にはそうした中、建設された、また建設中のマンションが見えていました。
テルアビブの街には、直ぐに地中海が面しています。
私たちが入った日は、安息日を開けたばかりの穏やかな1日が始まっており、活気ある街と言う印象を持ちました。
また、治安の良さも際立っており、例えば、
「街中に忘れ置かれた荷物があると爆弾処理チームがいつの間にか表れ、処理していくほどである。」
との説明がなされていました。
もちろん、戦闘地域は危険、また、旧市街の一部にはスリはいるようです。

ところで、この国にはイスラム系の人もいて、また、世界的趨勢と同様、人口増加率は、イスラム系の人の方がユダヤ系の人より高いそうですが、当然にこのイスラエルと言う国の中心は、
「ユダヤ教徒」
であります。
そして、イスラエルに於けるユダヤ教徒とは、ユダヤ教を信じ、ヘブライ語を理解する人間、一方、アラブ人は単純にアラビア語を使う人々と言う理解が先ずはなされているそうです。
ユダヤ教徒は、教義を守りつつ、ユダヤ人としてのアイデンティティを守ることを強く意識、特に、
「十戒にも記されている安息日を守ること」
や、
「ユダヤ教による食事のルールとなるコーシェルを守ること」
によってユダヤ教、そしてユダヤ人のアイデンティティを守り通してきていることが、このツアーの経験から、改めて感じられました。
因みにこの食事に関するコーシェルと言う規定では、イカやエビやタコなどを口にすることはできず、例えば、ホテルの大衆が集まるところで、日本人が好きな「のしいか」でも食べようものなら、本人のみならず、そうした旅行者を受け入れたホテルまで、ユダヤ教を守る規制委員の人に罰せられることもあるそうです。
尚、道中、通りすがりのユダヤ人に呼び止められ、
「日本人か?」
と尋ねられ、
「そうだ。」
と答えると、突然、
「日本人は、クジラを食べるのでいかん!
クジラを食べぬように!」
と言われ、それに対して、私は、
「いや、今の日本人はほとんどクジラを食べないし、そもそも習慣の違いだ!」
と反論すると、憮然としていました。

ところで、テルアビブでは、ロスチャイルドのようなグローバルビッグビジネスを得意とするユダヤ系よりもファミリービジネスを軸とするスモールビジネスを成功させていく事を得意とするユダヤ系の人の方が総じて多いとの見方も出ていました。

さあ、こうして我々はイスラエル入国後、本格的な訪問活動を開始しました。

イスラエル2日目
本格的な活動を開始しました。
今回のアレンジメントの多くは、イスラエルの芸大を卒業、エンジニアとして、ゲームソフト開発などの指揮を執られた、今はコンサルタントとして活躍、日本人会の役員もしている土田さんという方にお願いし、アレンジしてもらいました。
また、ドイツ系ユダヤ人と結婚されたともこさんと仰る方に道中のガイドと通訳などをして戴きました。
素晴らしいお二人でした。

ジェトロ
先ずは、ジェトロにて、イスラエルビジネスに関する基本的なことを学びました。

イスラエル日本人商工会のメンバーは33社、進出日本企業は約90社(田辺三菱製薬、オリンパス、日立化成、HOYA、OKI、杏林製薬、豊田通商、ソフトバンク、キヤノン、パナソニック、SOMPO、味の素、住友商事(アグリテック)、三井物産等々)、また、日本からのイスラエル訪問客は年間約2万人、イスラエルからの日本訪問客は約4万人となっている。
在留邦人は約1,000人、在留期間の長い日本人も多い。
ここ数年では、安倍首相、世耕経産大臣などもイスラエルを訪問、外交関係はこうした政府要人の公式訪問によって緊密化してきている。
イスラエルは、四国と同じ面積の国である。
人口は約900万人、人口増加率は3.1%となっている。
人口増加の層は宗教に関連の強い層が多く、その傾向からすると、今後、宗教政党の発言力が強まり、イスラエルの政治に変化を与える可能性も出てくると見られている。
直近のトピックスとしては総選挙後、連立政権が出来ず、9月に再選挙となっている。
ネタニヤフ首相の権力掌握力低下が懸念されている。
また、イスラエルはノーベル賞受賞者が多く、世界の1,400万人のユダヤ人に比してそのウエィトが高い。
バイオ、アグリ、情報通信、金融テクノロジー、そして、水開発技術が特に際立って優れており、1991年の旧ソ連崩壊以降、ロシア系ユダヤ人がイスラエルに入り活躍し、イスラエルの産業基盤を支える一つの軸となった。
その後、多国籍企業がイスラエルに入り、イスラエルのスタートアップ企業を買収するなどの形でイスラエル経済を発展させている。
尚、2018年年間では126億米ドルの外資による対イスラエル投資が見られている。
イスラエルへの投資目的は、基礎技術開発、商品開発にあり、また、安価・高能力の人材、即ち、米国のシリコンバレーのマネージャー級のエンジニアの半分以下、約9万米ドル程度の年収で同質の開発が可能となっていること、こうしたことが、外資系企業の投資目的となっている。

イスラエル人には失敗を恐れない挑戦力があり、それが発展の原動力の一つとなっている、また、そうした失敗を受け入れる社会的雰囲気があるとの評価があり、こうしたことが、イスラエル発展を支える背景ともなっている。
また、イスラエル人には大胆さと形式を重視しない人、混沌が起こることを恐れない精神があるという特徴も持っている。
一方、イスラエルが滅ぼされぬよう、国防意識が強く、国防関連での産業発展も一つの特徴となっており、国防技術の民間転用もかなり自由化され、サイバーセキュリティなどの分野も強い。
イスラエルのGDPの4.3%がR&Dに向けられている。

こうしたことを軸にして、イスラエル経済の特徴は、
「ビジネスエコシステム」
などと称されており、
「国防、スタートアップ、エンジェル、技術移転、インキュベーター、教育機関、政府機関
などの組織作りや組織運営」
に反映されている。
また、国民の兵役経験と起業家育成意識化はリンクしており、その背景には、
「周辺諸国からイスラエルが滅ぼされるかもしれない。」
という恐怖感が常にあり、国を守る産業が発展しているとも言える。
現在、イスラエルでのスタートアップ企業社数は6,000社を超えているが、最近はやや増加速度が鈍化している。
また、2013〜2018年では6,500社程度が開業され、イスラエルのスタートアップ企業大国としての強さが、こうした数字でも示されている。
データサイエンス、コンピュータビジョン、ロボティクス、メディカル関連分野でのスタートアップが最近は多い。
GAFAなどもイスラエルに投資している。

イスラエル財政部傘下のイスラエルイノベーションオーソリティ、イスラエルの各大学、イスラエル大使館経済部などが、イスラエルビジネスを開始するコアとして日本企業として、利用出来る。

中国本土もイスラエルにはかなりアプローチしており、アリババなどがその典型となっている。

こうして、白亜の街・ロスチャイルド通りなどを視察した後、この通りに面した庶民レストランで会食しました。
街並みを眺めながらの庶民感覚での会食となりました。

Hailo Technology社

同社は、イスラエル国防部、軍出身者を中心に設立されたマイクロプロセッサー開発会社としてスタートした企業であり、この二年間はステルス期間と言われる、開発に専念してきた企業でもある。
即ち、世界の主要企業が出来ないAIの基礎部品のマイクロプロセッサーを開発した会社で、今後のインテルの技術の基礎の一つとなる技術を持つ会社として期待されている。
そもそも、人工知能分野は、AI,Machine Lerning,Deep Lerningのカテゴリーに分かれており、この会社の技術は、人間の知能に近い動きを人工知能ができるように、商品開発をしている会社である。
即ち、Edge Dcviceの開発に取り組み、自動車、ドローン、監視カメラなどの商品にその技術は応用されており、現在、様々な分野でAIは必要となっている。
そして、市場の発展を意識した場合、例えば、スマホの中にAI製品の入り込む余地はまだまだたくさんあると見られている。
更に、スマートシティ化の中で、例えば、中国本土では、2億個の国内に設置されたカメラが14億人の国民を監視しており、マーケットニーズが高いが、そうした分野にも同社の製品、技術が多く利用されるはずである。
そして、今、
「将来起こるであろう事態を予測する方向でAI技術が利用される余地が出てくる。」
と考えられていることから、同社のマイクロプロセッサーの利用価値は更に高まるものと期待されている。
更に、自動車の自動運転の中では、レベル1~レベル5までの開発プロジェクトがあり、ここでも多くのマイクロプロセッサーが利用される見通しである。
こうした中、HAILO社は、2017年に設立された会社で現在、開発者を中心に60人の社員がいる。
10の特許とペンディングの特許を持っている。
創設者は軍のOBその他が集まり、会社運営が開始された。
世界で最も革新的なマイクロプロセッサーであるHailo8と言う製品の開発を手がけた。
この会社では、こうしたマイクロプロセッサーの開発を手がけ、OEMで製品製造、その後、製品に加え、ソフトも販売しながら、収益を上げようとしており、今後、様々な分野で利用可能なAI商品の普及に貢献すると期待されている。
また、同社のマイクロプロセッサーは消費電力も小さく、そうした点でも期待されていることを付記しておかなければならない。

NeuroDerm/田辺三菱製薬社

パーキンソン氏病などの薬など、神経系臨床薬を開発、また医療機器開発に注力しているベンチャー企業で、2018年に田辺三菱製薬が、現地のベンチャー企業を、約1,100億円を投じて買収した企業である。
臨床薬販売での投資回収と医療機器デジタル化による薬の効果の見える化を図っていく上で、イスラエル企業の買収メリットは高いとの判断をしたとのこと。
社員数は、買収当時は70人前後、今は買収した会社のスタッフに若干入れ替わりがあったが、その上で107人となっており、田辺三菱製薬からは二人の出向者が来ている。
一般的に言えば、
「2,000億円を投資して一つの製品しか生まれない。」
と言った医薬品業界となっている中、神経系臨床薬の開発に注力したベンチャー企業に目をつけて田辺三菱製薬はイスラエル投資を決断した。
同社としては、オープンイノベーションの時代に対応した経営をしており、ハイリスクローリターンのビジネス分野となっている中、米国で売れている商品を追い求めるうち、その薬品を作っている企業がイスラエルの技術によって支えられている企業であったことを認識、それがきっかけとなり、イスラエルへの投資となった。
現地ベンチャー企業の従業員を上手に活用して、クロスボーダービジネスを展開している。
また、同社は女性の比率が高い。
更に、
「イスラエルの革新的な分野、日本の得意な積み重ね分野」
の組み合わせによって、効果を上げるというのが、イスラエル留学経験もある田辺三菱製薬会長の基本的な思いでもある。
ところで、イスラエル人は、
楽天的  しかし、結果オーライ
正直      しかし、強引、行儀が悪い
チームプレーヤー的  しかし、コネ社会
野心的(フツパー)    しかし、無謀である
とにかく親切          しかし、おせっかい、しつこい
と言った特徴があると、その駐在経験からしても、認識しているとのコメントがあった。

これらの面談を終え、夜は懇親、交流会となりました。
尚、今回の懇親会での地元に住む日本人のコメントを聞く限り、
「市内ではなく、テルアビブ周辺地域の電力事情はさほど、良くない。
テルアビブ郊外の飲料水の質はそれほど高くない。
中国人観光客は増加、パレスチナなどでも見かけるようになってきている一方、中華街は見かけない。」
とのコメントが印象的でした。

イスラエル3日目
3日目は日本大使館で講義を受けた後、カイザリヤ、ガリラヤを経由、ナザレに入りました。

日本大使館
大使館では昨日の講義と見学を踏まえて、以下のような点を学びました。
即ち、
日本国政府、外務省としては、中東情勢分析の軸として、現在、
「イスラエル」
と、
「イラン」
に関する分析に力を入れている。
また、中東情勢混乱の火種の一つとなるイスラエル情勢の分析をするとともに、そのイスラエルの発展、課題解決方法を参考にしつつ、イスラエルとの技術連携、ビジネス連携を深め、日本の国益に結びつけていき、その為に、日本企業のイスラエルビジネスの支援をしていくサポートも大使館としては意識し、活動している。
一方、国際経済制裁を受けているものの、イランとの連携も重要視しており、国際協調をしつつも、日本独自のイランとの外交関係維持、発展を目指している。
一つの問題は、そのイスラエルとイランの関係が厳しくなっていることにある。
また、そのイスラエルとイランに対しては、中国本土もかなり経済外交も含めたアプローチをしており、日本としては、こうした中国本土の外交的動きをマークしている。

その後、地中海の港町・カイザリヤに入り、ローマ時代の水道橋、円形競技場などの遺跡を見学しましたが、ローマにある遺跡と同様のこれら遺跡を見て、当時のローマの影響力の強さを改めて実感しました。
尚、カイゼリヤでは、ローマと連携、ある程度の自治を任され、暮らしていたユダヤ人が、ローマ人と対立、それらユダヤ人がこの地を追われることになったと言う歴史などにも触れながら、遺跡見学、そして昼食をしました。

そして、昨年訪問したケニアでも見学した大地溝帯と同じ、大地溝帯の北部に位置するガラリア湖を望みながら、ガラリア地域に入りました。
尚、大地溝帯が裂け、そのまま、海が残り、川などの水が流れ込まないで、塩分濃度が高まった湖が死海、一方、このガレリア湖は、雪解け水などが流れ込み、今は淡水湖となっているそうです。
そのガリラヤではイスラエルの集産主義的協同組合と訳される「キブツ」を見学しました。
そのデガニア・キブツと言われるキブツで受けたガイダンスは以下の通りでありました。

訪問したキブツは、100年を超える歴史のある生活共同体であり、皆、基本的にはキブツメンバーとしてイコールフッティングである。
リーダーはいない。
キブツメンバーとその家族は、皆でキブツを所有し、生産をし、分かち合うことを旨としている。
共産主義ではなく、社会主義的共同体である。
キブツは原則、ビジネス的運営がなされている。
基本的にはメンバーが皆好きな仕事をして良い、そして、その仕事から得た利益はキブツ全体でシェアすることとなっている。
このキブツには約200家族、そして、約800人が暮らしている。
ガイダンスはしてくれた人はポーランドから来た3世である。
キブツのメンバーはシェアホールダーとなる。
キブツメンバーの子供達は30才くらいになり、希望をして、キブツメンバーに認められるとキブツメンバーとなることができる。キブツメンバーにならなくても良い。
ロシアや中国本土ではキブツと似たシステムがあったが失敗、イスラエルでは成功し、拡大もしている。
キブツでは、自立性、自主性が重んじられている。
但し、小さな共同体での成功モデルであり、大きい組織で、キブツのような組織運営を図ることは難しいかもしれない。
義務的仕事は皆が平等にローテーションをしている。
キブツメンバーの権利は相続できない。
キブツメンバーに成るには、キブツメンバーの子供は優先され、また、犯罪歴などがない上、手に職を持っている人は、原則として新メンバーとして受け入れられる。
尚、このキブツでは、去年の12月から給料制になった。
好きなことをしていることが生産性を上げる、皆がそうしたことを理解出来るサイズは、多分、400メンバー程度までのキブツであり、その程度の組織のキブツの運営はスムーズ、即ち、それぞれに基本的には不満はなくキブツは運営されるであろうとガイダンスの人は説明していた。
キブツメンバーは安息日には食事をともにし、心を一つにすることを旨としている。

そして、私自身はこうした説明を聞きながら、
「キブツとは、ある意味、日本の昔の小さな村落共同体、或いは、江戸時代の長屋のような仕組みとなっており、メンバー皆が得意な仕事をし、キブツそのものを繁栄させ、皆が幸せに生きると言う精神の下に運営されている。」
と見ても良いのではないかと思いました。
そして、ナザレに入り、夜は団員による懇親会と私からの国際情勢概観説明を行い、1日を終えました。

イスラエル4日目
ナザレの朝、まだ、真っ暗い中、モスクからコーランが流れてきました。
イスラエルは、一般のユダヤ系国民、ユダヤ教を徹底的に守り、男はユダヤの教義を勉強することが一生の仕事、それを女性が支えるという、生産面から見ると効率性は悪いと見られる超ユダヤ系の国民、そして、イスラエルを愛するアラブ系の国民と、大きく言えば、三つの階層に分かれるそうですが、人口の15%程度を占めるアラブ系の国民もこのようにしっかりとイスラエルで存在感を示しながら生活していることが改めて確認できました。
そして、このイエス・キリスト生育の地ナザレにて、受胎告知教会、聖ヨゼフ教会などを見学した後、我が隊は、死海に向かいました。
尚、ナザレでは、巡礼の人たちとたくさんすれ違いました。

そして死海の向かう途中、世界最古の町と言われるエリコに入り、JICAプロジェクトを視察しました。
尚、ここは、所謂、ヨルダン西岸地区にあり、かつては、ヨルダンが支配していたものの、現在は、イスラエルの統治下になっています。
ヨルダン川が国境となり、センサーによって安全管理がなされています。
また、ヨルダンは、ほぼ大半が砂漠地帯の国にあって、水の肥沃なこの地域のヨルダン側でも農業がなされているのを確認しました。
栽培されているものの主たるものは、
「ナツメヤシ」
であり、一本の木から平均約一万個のナツメヤシの実が取れ、豊作の際には、その実を黒蜜化して保存すると言う形をとっているそうです。
尚、ヨルダン西岸地区には入ってしばらくしたところで、破壊された戦車が道路の脇に放置されていました。

そして、安倍首相、河野外相も視察をされた、パレスチナ難民も多い、人口約8,000人の町・エリコのJICAプロジェクトについて、阿部所長から伺った概要は以下の通りです。

プロジェクトの名前は、
「エリコ農産加工団地(JAIP)」
であり、
「平和と繁栄の回廊」構想
と言われる、日本、パレスチナ、イスラエル、ヨルダンの地域協力により、
「パレスチナの経済的自立」
を促す、2006年から始まった中長期プロジェクトの旗艦事業となっていいる。
現状はフェーズ1で、11.5haが工業団地として造成され、既に、パレスチナ民間企業15社(オリーブ葉エキスサプリ製造、梱包用緩衝材、ウエットティッシュ、ミネラルウオーター、石鹸、冷凍ポテト、再生紙等々の製造業)が既に操業、その他の13社が入居契約済となっている。
現在は、約220人の雇用を生んでいるが、今後、約50haの造成を予定するフェーズ2に入ると、約3,400人の雇用を生み、それがうまくいけば、更に50haの造成を予定するフェーズ3に入る予定である。
日本は既にこの事業に約2,700万米ドルの投資を実施、JACAは、ハードの工業団地建設に留まらず、進出企業の経営アドバイス、ロジスティクス、販路開拓などにまで関与して、成功に導く努力をされており、日本の国際協力プロジェクトのトッププロジェクトに相応しい活動をされていることを目の当たりにした。
また、JICAとしては、本プロジェクトの今後の課題として、
「企業の入居、稼動促進」
「上水、電力の安定供給の確保」
「国外マーケットへの物流ルートの整備」
を上げており、特に、物流ルートについては、イスラエル、ヨルダンとの専用道路建設、国境通関手続き円滑化促進などに、注力したいと語っていた。
そして、JICAとしては、今後はイスラエル企業とのコラボレーションを意識したIOTビジネス関連分野の操業支援などにプロジェクトの質のレベルを高めていきたいとしていた。

そして、その後、入居企業である、地元で生まれ育ったパレスチナ人であり、この地域としては珍しい女性起業家であるイクラス社長率いる、皮膚の病気、アンチエイジングに効用の高いパレスチナ産オリーブオイルと天然素材で作った石鹸などを製造、販売をしているシバ&ビューティ社を訪問、イラクス社長から直接説明を受けた。
次に、オリーブ葉から抽出したサプリメントの製造、販売をしている、イギリス育ちのパレスチナ人経営者であるハイサム社長率いるパロリーフ社のハイサム社長から説明を聞き、イスラエル向け販売やヨルダン経由オーストリア向け輸出に成功しているパロリーフ社の説明を受けた。

そして、一般人は許可なく入れない、洗礼の地カスルエルヤフードに行き、ロシアサンクトペテルブルクはじめ、世界各地からヨルダン川での洗礼を受けに来、水着の上に白い服をまとい、ヨルダン川に浸る外国人たちと共に、私は足だけヨルダン川に浸りました。
尚、その様子は、人数こそ、圧倒的に少ないのですが、さながら、ガンジス川に浸るヒンドゥ教徒の様子に似ていました。

次に、クムラン遺跡を見学しました。
この遺跡は、紀元後直ぐにユダヤ系の民が住み、共同生活をしていた後を残す遺跡であり、共同浴場、食堂、プールなどの跡地を見ました。
こうして、エンポケックに入り、死海にて浮遊体験をしました。
私も本当に浮きながら新聞を読みました。
また、長い時間、死海に浸かり、身体の悪いものが流れ出たような気がしました。
そして、死海の海の底に沈んでいた塩の結晶を持ち帰りました。
こうして、1日を終えました。

イスラエル5日目
5日目は、マサダ遺跡の訪問、そして、ネゲブ砂漠を経て、エルサレムに入りました。

マサダとは、要塞の意、ヘロデ王が、ローマに朝貢に赴く際に、残された家族を守る為に建設させた要塞と言われ、ヘロデ王はローマの後ろ盾を持ち、ユダヤの民も従えたと言われています。
そして、ローマ人が視察に来る際に、ヘロデ王の威厳をローマ人達に見せつけると同時に、ローマ人を歓待する為に、マサダには、ローマ風呂も完備された宮殿となっていったのであります。
しかしながら、そのローマにユダヤ人が盾をついたことから、ローマ軍に攻め込まれることとなり、その際に、ユダヤ民族は、このマサダに立て籠もりました。
崖に立ち、水の確保、食料の確保に長けたこのマサダは、難攻不落で、私は、祖先、昌幸が建てた岩櫃城をイメージしましたが、こうしたこともあって、ローマ人はこのマサダを攻め落とすまでに3年を超える年月を費やしました。
そして、その際にこのマサダに立て籠もったユダヤの民は約1,000人、3年の籠城を経て、いよいよローマに攻め落とされることを覚悟したユダヤの民は、マサダにあるシナゴーグに集まり、自由と信仰を守り、死を選ぶという決議をし、自決、マサダに火を放ち、戦いは終わったのでありました。
こうした逸話があり、ユダヤの信仰を守ったと言う象徴としての聖地であるマサダは、イスラエルのユダヤの民の魂を知る場でありました。

そして、ネゲブ砂漠を通過しました。
として、その際に、小規模な砂嵐や頑なに自らの文化を守る寡黙なベドウィン族の町を通過しながら、シオニズム運動を一つに束ねたリーダーシップを持つベングリオン首相夫妻の墓碑を訪問しました。
お参りをした際に、そこに来た地元の人たちに、
「日本人なのにお参りをしてくれてありがとう。」
と言ってもらいました。
また、出口の近くで休んでいたイスラエル国防軍の兵士たちに、集合写真を撮りたいとお願いしてみると、女性隊長はにこやかに受け入れてくれ、彼らと記念撮影、握手をして分かれました。

昼はベドウィン族の町の近くにある一軒家のテントの中で食事を取りました。
鶏肉、豆のペースト、パンなどの食事をした後、1700年もの間、この土地に住むベドウィン族の若い主人に話しを聞きました。
ベドウィン族は、遊牧の民、但し、ただ流浪するのではなく、一定地域をサイクルするような形で遊牧していく、そして、一定地域で小麦の種を植え、成育した麦からパンを焼き、来年の為にまた小麦の種を残すのであるそうです。
また、ヤギを飼育しているそうです。
ミルク、二種類のチーズ、肉、そして、ヤギの皮によって天幕を作ったりしており、ヤギはベドウィンにとっては重要な動物であります。
また、ラクダも重要であり、ラクダは一ヶ月半は水がなくても生き延びることから、移動の際に役立つ動物として可愛がっているそうです。
ベドウィン族の基本は、
「自由」
であるということであり、
「自らの人間性と向き合う」
ことを生き様の基本としているとも語っていました。
また、血縁だけではなく、共同体としてのベドウィン族の集まりを大切にしているそうです。
最近では、医学などの近代の良さを感じることもあるが、精神性の高さ、自らと向き合うという自由を求めて生きることに価値を求めることが、やはりベドウィン族の魂には向いていると考えているとのコメントがありました。
また、ベドウィン族が結婚したい時には、大きなテントを作り、来る人を拒まぬ形で祝いの席をつくるとのこと。
お金やプレゼントではなく、訪問客はお祝いに必要な食べ物や飲み物を持ち寄り、皆が一つになってお祝いをする、また、もしも精神をきたした人がでれば、自由にしてあげることを基本としているとのこと。
ヤギや羊だけでなく、犬や鳥も自宅では飼っているそうです。
また、寿命はむしろ近代国家になった後は短くなっているとの印象があるとも語っていました。

昼を終え、ネゲブ砂漠を北上し、エルサレムを目指しましたが、途中、火山爆発や隕石落下を原因としていない、ネゲブ砂漠特有の出来方をしている、長さ40キロ、幅9キロ、高さ400メートルの、
「ラモン・クレーター」
を訪問しました。
また、途中、ネゲブ砂漠にある原発を横目にして通り過ぎました。

そして、イスラエルの首都であるエルサレムに入り、二回目の講義をさせて戴き、今日の1日を終えました。

イスラエル6日目
エルサレム1日目、一社を訪問した後、嘆きの壁などを見学し、夜は交流会に臨みました。

Seevix Material Science社
同社はバイオ企業で蜘蛛の糸を使った新繊維の開発を手がけている企業である。
シエン社長は、生物学博士、経営学修士を取得した設立者であり、説明を伺った。

同社は、ヘブライ大学での10年の研究をベースとした技術を元にして、スタートしている。
13人の博士を中心とした従業員がいる。
イスラエル政府と個人投資家の投資を受けて設立された。
石器時代から始まり、鉄、そして、今やDNAと技術を合体させたバイオマテリアルの時代に入っているとも言える。
そうした中、同社は蜘蛛の糸を基とした繊維の開発に入っている。
この製品は、軽量であり、230度の温度にも耐性があり、酸性などにも強い、炭素繊維よりも更に軽量、耐性のある素材となっている。
蜘蛛の糸繊維は、自然界最強の原材料とも言えると考えている。
但し、蜘蛛の糸の大量生産型製造は今のところ難しい。
同社はここに、最新のバイオテクノロジーを使って商品開発をしている。
蜘蛛の糸繊維の製造はこれまで大量生産が叶っていない。
糸のタンパク質を、自然模倣の形で紡いで蜘蛛の糸繊維を製造していくことを進めている。
生産工程の進化を遂げ、大量生産の体制に持っていけるような開発に努めている。
多様な素材にこの新素材を混ぜて、ニーズの多様化に合う研究開発を目指している。
自然のものを使った同社の蜘蛛の糸繊維と他の物質を合成して商品化して軽量、耐性の強い、大量生産商品の生産に繋げていく可能性を持っている。
商品化としては、航空機、国防、3D、自動車、医療などの分野に繋げていくことが可能である。
日本の企業とはカテーテルの製造、手術用の縫合繊維の開発などで共同開発を行っている。
また、3Dバイオプリンティング分野では47億米ドルの市場規模を期待している。
植皮するための繊維としても120億米ドルの市場規模を見込んでいる。
今のところは開発中であるが、大量生産大量販売に持っていければ、価格は下がる見込みである。
こうした技術を使い、協調していくことができる、商業化に繋げていくことを可能とするような企業をパートナーとしたく、それを探している。

さて、昼食後、7世紀以降はアラブ、イスラムの神殿となっている、神殿の丘のイスラムの神殿を見学しました。
もともとはユダヤ人の聖地、生贄を捧げようとした大岩を中心にして、紀元前10世紀頃、ソロモン王が作った神殿となっていましたが、その後、その神殿の上にイスラムのモスクが建てられ、聖地を奪われたユダヤ人の嘆きの壁が、その神殿の丘に立ちはだかっているのであります。
嘆きの壁に生えた草から落ちる露がさながらユダヤ人の涙にも見えるそうです。
そして、そのイスラムモスク、そして、嘆きの壁を訪問、そして、エルサレムの台所であるマハネ・ユダ市場を見学、みなさん、ゴラン高原のワインなどを購入、また、ストリートカフェで一服した後した後、エルサレムの日本人の方々との交流会を行いました。

在留日本人の中で、国立音大出身でオペラ歌手として活躍していたものの、7年前にユダヤ人の歌に触れ、自らが歌うべき歌は、このユダヤの歌であると感じた日本人女性が、イスラエルに来て、歴史の勉強をしつつ、ユダヤ人の魂を感じ、それを、歌として表現する道を選んで在留されていると言う日本人女性のお話がとても印象的でした。
彼女は、こうした背景でエルサレムに来たことから、当初はヘブライ語もよく分からぬ中、自分で、家をはじめとする生活拠点を自らの力で築き、エルサレムで力強く、しかし、凛として生きている女性です。
そして、彼女は、
「このエルサレムの地から追われ、世界に散らばっていったユダヤ人の中で、スペインに逃れ、その後、グラナダのアルハンブラのように、イスラムの勢力下、ユダヤ人も幸せに暮らしていたものの、イザベラ女王が始めたレコンキスタによって、ユダヤ人は再び、スペインを追われ、オスマントルコ帝国が支配する中東に戻ったが、その後も迫害を受け、中南米なども含め、更に世界に展開していった。
そして、そうした中、イスタンブールなどの景観に似ているとのことから、アメリカのシアトルに移動していったユダヤ人達がスターバックスを設立したのを始め、シアトル発のグローバル企業を設立していった。」
と語りつつ、その、スペインに行ったユダヤ人たちが歌う、哀愁のある歌に強い思いを持ち、これを学び、そして、コンサート活動をしているそうです。
彼女は、そうしたユダヤ人の迫害を受けながらも、ユダヤ人としてのアイデンティティを守り続けたユダヤの民の魂を歌った歌に魅了され、オペラからこのユダヤ人の歌の勉強と歌を歌うようになったと言うことです。
こうしたお話が特に印象的であり、また、彼女は、私たちに2曲の歌のプレゼントもしてくれました。

イスラエル7日目
本日は観光見学のみ、キリストが十字架を背負って歩いた苦難の道やホロコースト記念館を訪問した後、キリスト生誕の町、ベツレヘムを訪問しました。

ホロコースト記念館は、約1,500万人のユダヤ人の、迫害されながらもアイデンティティを守ってきた歴史を物語る記念館であります。
特に、ここでは、ナチのヒットラーの行いを物語ることを中心とした記念館でありました。
ヒットラーは何故、ドイツの民を惹きつけたのか?
自らは、北方アーリア人の末裔と称したヒットラーは、しかし、もともと絵描きに成りたかった人です。
そして、第一次世界大戦の敗戦によって、ドイツの民が自信を失っていた時期に彗星の如く現れ、そのドイツ人に自信をつけさせる為、ヒットラーの演説の際の光を上手に使った舞台効果などを作りながら、ゲーリングという英雄を抱き込みつつ、ドイツ人の自信回復に向けて努力した、そして、実際に経済回復を具現化、その一方でユダヤ人を卑しめつつ、ドイツ人の心を一つにしていったのであります。
この一方で、ユダヤ人のシオニズム活動は活発化しました。
尚、アインシュタイン、フロイドなどの卓越したユダヤ人もここに含まれています。
ドイツ人によって、ドイツの支配下に入ったユダヤ人は、黄色いバッジをつけさせられたそうです。
そして、こうして生き残ったユダヤ人はゲットーと呼ばれるユダヤ人居住区に集められました。
この時、何も知らずにゲットーに送られたユダヤ人の多くはドイツ人に皆殺害されていくことになりますが、ドイツ人に抵抗した唯一のゲットーが、ワルシャワゲットーであり、ユダヤ人は今、このワルシャワゲットーの蜂起を誇りに思っているそうです。
尚、当時のローマ法王は、ユーロコミュニズムの勢力拡大を恐れ、それを助長するユダヤ人勢力の拡大も回避すべく、ナチの活動に反対することはしなかったそうです。
こうしたこともあり、イスラエルは今もローマンカトリックとは真の和解をしていないようです。
そして、アウシュビッツなどに収容されたユダヤ人達は、髪を切られて、その髪が毛布にされたり、殺されたユダヤ人の脂肪で石鹸を作ったりと、ユダヤ人を、家畜以下の扱いをしていたようです。
また、人体実験の対象にされたりしたことも、このホロコースト記念館では説明されていました。
尚、このホロコースト記念館には杉原千畝氏を功績を讃えた植樹がなされていました。
一方、イスラエルの学生の修学旅行先にはポーランドが良く入っているそうです。

次に最後の晩餐の場、そして、キリストが十字架を背負って歩いた苦難の道を訪問しました。
神殿の丘からアラブ人街を通過しましたが、現在、アラブ人商店街となっている地域にある道が苦難の道で、キリストが手をついた石や二度倒れた場所などが紹介されていました。
また、最後の晩餐の跡とされる地に、十字軍時代によって建てられた建物を訪問、更に、シオンの丘、キリストが磔にされた地であるゴルゴダの丘に建つ聖墳墓教会を巡り、昼食を取りました。
その後、ベツレヘムに入り、キリスト生誕の地を見た後、再び、エルサレムに戻り、3回目の勉強会を経て、一連のイスラエル公式訪問を終えましたが、このベツレヘムは、約4メートルの分離フェンスを持つ街で、この街がパレスチナとユダヤ人の共有地ということを改めて感じました。
また、生誕教会は、厩、即ち、この地では、夜に狼やハイエナから馬を守るため、夜には馬を洞窟の厩に隠すのですが、キリストはその洞窟の厩で生まれたとのことでありました。
とても落ち着いた雰囲気の教会でした。

イスラエル8日目
最終日、エルサレム市内を見学、夕刻、安息日の道をスムーズにテルアビブ空港に入り、仁川国際空港経由成田空港に帰国しました。

エルサレムでまず、オリーブ山に入りました。
ヘブライ大学の文学部があり、聖書研究の聖地となっているそうです。
また、山からは入植地が見えましたが、ユダヤ人企業に働くパレスチナ人はユダヤ人と融和し、楽しく仕事をしている様子が紹介されました。
次に主の涙の教会に寄り、また、そこから正面に見える黄金のドームなどの写真を撮りました。
そして、山を下り、キリストが捕らえられた場に行きました。
そこはオリーブの木がたくさん植えられ、そのオリーブの古木に囲まれた万国民の教会では、正にミサが行われていました。
その後、再び、聖墳墓教会近くに行き、ドイツ人系ユダヤ人の教会を訪問、お祈りをしてから、彫金師の作品が並ぶお店で皆買い物をしました。
そして、昼食、イスラエル博物館を訪問しました。
ここの目玉展示品は、死海近くにて、羊飼いが見つけた、壺の中に入れられて、保存されていた、
「死海文書」
であり、太古の聖書であります。
また、土器や靴、道具なども展示されていました。

そして、テルアビブ空港に向かい始めましたが、一旦、テルアビブ市内を抜け、地中海にか臨む町、ヤッフォーに寄りました。
道すがら、中国本土が受注したものの、3年以上も工事完成が遅れている鉄道工事の様子なども見てきました。
また、オスマントルコ時代にチェチェンから、この地に入ってきたチェチェン人たちの住む町も途中にありました。

こうしてヤッフォーに入りましたが、ヤッフォーはテルアビブ南部の港町でかつては、アレキサンドリアとこのヤッフォーには航路があり、ヤッフォーは港町として発展、その頃には、ヤッフォーの町では、エジプト風ビールも飲まれていたと言う書物が残っているそうです。
そこで、最後の夕食を取り、テルアビブ空港から帰国しました。

最後にイスラエルの食事は、行く前に見た写真ではあまり美味しそうではなかったのですが、実際に行って食してみると、美味しい、これは、食品関係の社長さんを含めた24名の今回の団の皆様の結論でありました。
水ももちろん安全でした。

帰国ルートは、テルアビブから地中海を経て、トルコ、ジョージア、カスピ海、ウズベキスタン、カザフスタン、中国本土、渤海湾上空を経て仁川空港へ、トランジットをしてから、成田空港に戻りましたが、途中、カシュガル、ウルムチ、ゴビ砂漠上空は一層、砂漠化が進んでいるように見られ、中国本土政府には、
「対外拡張も良いが、まずは自国を豊かにすること、砂漠の緑地化計画なども推進してもらいたい!」
と荒れ果てた大地を上から望みながら、感じた次第であります。

以上が真田のイスラエル漫遊記であります。

引き続き宜しくお願い申し上げます。

以上

 
愛知淑徳大学 ビジネス学部・ビジネス研究科
教授 真田 幸光
 


真田先生のプロフィール
真田 幸光氏(さなだ・ゆきみつ)
愛知淑徳大学ビジネス学部教授。
1957(昭和32)年生まれ。81年慶大法卒、東京銀行(現・東京三菱UFJ銀行)入行。韓国延世大学留学、ソウル支店、資本市場第 一部、BOT International(H.K.)Ltd.出向などを経て、97年独系ドレスナー銀行東京支店・企業融資部長。98年愛知淑徳大学ビジ ネス・コミュニケーション研究所助教授に就任。2002年4月同 教授、2004年4月より現職。
著書は『日本の国際化と韓国』、『アジアの国、日本』など多 数。 NHKクローズ・アップ現代などテレビ、ラジオ出演をはじめ、中小企業大学校ほか活発な講演活動を展開中。
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